不眠
明朝精神病院でカウンセリング初体験となるので早く寝たいのだが、寝付けず、起きてきてブラウザの更新などをする。暇潰しにヒューム『人性論』、バリバール『マルクスの哲学』を読む。
- 作者: ジョン・ロック,ヒューム,大槻春彦
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1999/09
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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- 作者: エティエンヌバリバール,´Etienne Balibar,杉山吉弘
- 出版社/メーカー: 法政大学出版局
- 発売日: 1995/12/01
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左翼なり共産主義者、マルクス主義者であることに躊躇いというか懐疑というか、自己反省があるかないかという違いがあるように思う。
ジジェクはキリスト教の宣教師のように、共産主義へと悔い改めよと言う。その悔い改めの例にドゥルーズが引かれるのは不快だ。
ドゥルーズは『マルクスの偉大さ』など書いてはいなかった。左翼、共産主義者の利用的態度には腹が立つ。
ヴィリリオのカトリック性は指摘されるが、『シネマ』のドゥルーズもそうなのではないか。ドゥルーズが映画におけるマルクス主義に見るのは、カトリックにも似た信仰、この世界を信じることという問題である。
科学的共産主義から遠く離れて、美学的で信仰に基礎を置く新たなマルクス主義が称揚されたかのようだ。ジジェクも、科学的共産主義とは似ても似つかぬ、信仰に基礎をおくマルクス主義について述べている。
柄谷行人の場合もそうなのだろうが、共産主義とは認識の問題ではないのだろう。信仰、信念、実践理性の問題なのだろう。カントが、信仰のために場所を空けたように、柄谷やジジェク、ネグリなど現代のマルクス主義哲学者もそうする。共産主義のために場所を空け、信仰や美学などに基づく独自のマルクス主義、共産主義を打ち立てる。
私は共産主義を信じているのかと問われれば、信じていないと答えるしかない。私は凡庸な合理主義者であり、単に事実と推理をもって認識の道を歩もうという知性的、悟性的立場を超えないよう注意している。言い換えれば、理性の越権に警戒的である。カントよりもヒュームに近い。
私はアナーキストではないと思うが、美学的である。ジャズを聴き漁り、日々を過ごす。それはいささかも倫理的ではないと思うが、致し方がない。
ネグリがいう自己価値創造とは具体的にはどういうことなのか、気になる。芸術的創造? よく分からぬ。
ここで一旦送り、再び寝床に就こうと思う。