明晰な自己認識と、深く静謐な悲しみと。

自分が閉塞状況にあり、結局何も出来ぬまま「終わった」人間であることを明晰に自己認識すると、深く静謐な悲しみが染み渡るように広がる。インターネットで日記をつけてきたこの10年間のみならず、私の生はずっと昔から損なわれ、傷付き、歪み、苦痛なものだった。1975年に生まれた私は、船橋市立七林中学校在学中(1989年)、中学2年の時に、自分の音楽の才能のなさに絶望し、精神病を発症、不登校となる。以来、私の生は常に困難で苦痛なものだった。
結局私は、35歳になって(2010年)、労働も恋愛(性交)も出来ぬこと、自分が社会に不適応であり、今後もずっとそうであることを認識するに至った。ゴミで不能としての自分を(再)認識した。
社会的に有為な人材ではなく、無為無能なゴミとして余生を送らねばならぬこと、それも自分の意思自分の選択でそうしなければならぬこと、私は全くno futureであり、未来も将来もないこと、それを認識した。
哲学者になろうという夢も、ジャズ・ピアニストになろうという夢も、作家になろうという夢も、活動家になろうという夢も、捨て去らねばならぬ。
私は無数のことを断念せねばならぬ。
自己愛に満ちていると思われるかもしれないが、そして実際そうなのだが、私は、苦痛に満ちた不毛な人生を送ってきた。時としてそのことに耐え切れなくなり、発作を起こしたり、死を思ったりした。しかし、私は、幼い頃から今日に至るまで、生は無意味で不毛で苦痛なものという真実を耐え抜いてきた。我慢してきた。
私は何者にもなれなかった。私は無である。不可能性である。
私には何の意味ある生産・発明・創造(想像)が出来なかった。
私は市井の一労働者・市民としても、哲学者・作家としても、音楽家としても、全く無能だった。
自分の否定性、駄目さ加減にうんざりしながら、私は長年実験を繰り返してきた。文章を書いたり、絵を描いたり、音楽を奏でたり、デモに行ったり、賃労働したり、いろいろ。
しかし最終的に、それら全てに意味がないことが判明した。というか、最初から分かっていたのだが、自ら認めざるを得ない状況になった。
今までは薬物(精神科の薬)に逃避したり、「寝逃げ」したりして、自分自身の真実から眼を背けていたのだった。だが、薬をやめ、明晰に思考や認識ができるようになった今は、自分自身の真実や現実を直視することが出来る。私が続けてきた過剰な生産活動、表現行為、無数のあがきの総体が無意味だった。結局、私は全てのアソシエーションから脱退し、友人も恋人もなく、ただ年老いた両親と共に余生を生きねばならぬ。それ以外の選択肢は全くない。
ここで一旦送る。