を巡る対話

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温箱は無理でしたね。今から思うと(笑
温箱を支持するという意見もあったけれども、この高度資本主義社会で、ねえ。なんてことを思う私は「転向」したのかな(笑い)。
まーでもRAMデモサイトリニューアルするらしいよ。私は辞めてしまったので内部情報はわからんが。おかざき乾じろさんのツイートにあったよ。結局、現代の百科全書を作ろうという理念が誇大妄想的だったと思うけど。NAM終了後も、様式忘れたけどカードで世界のありとあらゆる情報を集めて検索可能にしようみたいな話があったじゃん? あれも百科全書構想の続きみたいなもんですよね。
つかRAM DEMO SITEは運動圏からも浮いていたでしょ。何がしたかったのかよくわからん、と活動家からは言われました。インターネット検索だけして情勢分析しても、それが「知性」の活動になるのかといえば疑問。シールにしても、面白いといえばそうなんだが。
だから現代の百科全書、新しいホールアースカタログを作ろうったって、インターネットが既にそれを実現しているわけよ。新たにもう一個、付け加える意味が分からない。別に謝罪して欲しいとは思わないけど、徒労でしたね。別にいいけれど。
だからNAMそのものやQと同じ過ちを繰り返してしまったというか、現存の高度資本主義社会の情報システムを前提にしたとき、必要なものかどうか、という十分な吟味がなかった。バーチャル通貨にしても電子マネーが多数派になったような社会ならともかく、現時点では時期尚早
しかしオルタナティブにせよエコロジーにせよ、一種の信仰というか幻想に近い面があるので、合理性の観点から吟味するのは必要だと思いますね。私は(新)自由主義というか、市場の力は馬鹿にできないと思っている。先進資本主義の達成を前提として、さらに一歩進むようなものであるならいいんだけど、温箱的というか、既存の資本主義なり先進文明を単に否定しているようなものでは駄目だ。それは反省すべき点だと思う。ノー・オルタナティブと諦める必要もないと思うが、「それって本当に必要なの?」と合理性を問う態度は常に必要。
RAMらしさってのは一種の「批評性」っつーことですよね?まー批評家の才能ある人はやればいいと思うけれど、私は才能ないので撤退。
私は最後までRAMには期待し幻想を抱いていたんだけど、最近は貧しくとも自力でなんとかせねばと思うようになった。生き延びるための術(アート)は岡崎さんなり中谷さんから教えてもらうものではなく、自分で発明するもの。知性の活動とは「自分で考える」こと。
「それなら資本主義が実現するよ」というアイロニーなりシニシズムは現在でも生きているというか、mixiにせよTwitterにせよ、YoutubeにせよGoogleにせよ、一私企業なわけですよね? グローバル市場に生きる一私企業がコミュニケーションのあり方を変革し続けているわけです。インターネットやケータイの普及にしても、資本主義的市場のグローバルな力です。その速度は驚嘆すべきである。単に反ネオリベでは、今後、左翼としてもやっていけないのは自明だ。
まあRAMというのは、プロデューサーの岡崎さんが、実働者としての田口くんの才能なり魅力をどこまで引き出すかというようなものでもあったと思うんですよね。だからRAMを批判するということは、田口くんと絶交するということでもあった。残念だけれどもね。
「変態から編隊へ」以降のRAMというのは、崩壊したNAMの責任を取らないということで成り立っていたとも思うけれども。Q-NAM問題という矮小な問題圏から、イラク戦争反対というグローバルな問題圏へ。それはいいと思うんだけれど、NAMを「なかったこと」にしてQ-NAMの「戦争責任」も問わないでというのは、良かったのかどうか。私がQを攻撃していた頃、田口くんがRAMについて同じことをやったら絶交すると言っていたけれど、結局そうなった。
例えば白石さんというマラルメの研究している人が反ネオリベの本を出していて、ベーシックインカムを提言し、大学問題にも取り組んでいるけれど、彼らは旧来の「内面性」などに依拠するというんだよね。それでは理論的にも実践的にも退行ではないか。
そして大学論としても、旧来の「役に立たない」学問、哲学や文学や芸術の価値を擁護するんだけど、実際問題としては、大学教育にも一種の職業教育を盛り込むべき方向に進むべきなのは自明。これは昔でいえば、デューイとホワイトヘッドの対立などに表現されていたけれどもね。
近年でいえば、ルネ・シェレールドゥルーズの大学論みたいなものでしょ。資本主義的市場なり資本主義的価値づけから一定自律した空間としての大学という議論。しかし、一般教養教育の擁護にも通じるそのような議論は、決定的に「古い」と思う。
資本主義的枠組みが全てではないにせよ、大学を出ても就職できない、喰えないという深刻な現実があるわけで、大学が象牙の塔として自律していればいいという話ではない。ニート論の本田、後藤らが言うような教育改革は時代の必然だと思う。
まーでも、柄谷行人みたいに「国連を強くする運動がしたい」って言っても、ねえ(笑い)。具体的に何をすればいいか分からないし、国連にだって限界があるし、現にある北朝鮮のような問題をどう考えるのかというのは残ると思うよ。