元RAMとして語る

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マイミクシィのナベサクさんがRAMについて書いているので、かつてRAMの一員であった私も書いておこうと思う。
RAMのホームページは以下である。
http://www.eris.ais.ne.jp/~fralippo/demo/

ナベサクさんはそれに触発されて書いたのだが、事実関係を整理して正確に書いたほうがいいと思う。

元々、柄谷行人らが設立したNAM=New Associationist Movementという左翼団体があり、そのプロジェクトとして発足したのがRAMで、当初はWhole Earth Catalogと称していた。地域通貨Qプロジェクトが始まるが、地域通貨LETS-Qで買える商品がない、だからQで買える(良質な、或いはエコな)商品カタログを作ろうというのがそもそもの主旨だった。

だがプロジェクトは停滞に停滞し、コンセプトも変わっていった。

田口卓臣くんというディドロ研究者が入ってきてから、RAMは(RAMのRはランダムのR)現代版の百科全書を目指そうという誇大妄想的な目標を持つようになった。

しかしプロジェクトは停滞に停滞を重ねた。

そのうちに、中心メンバーの岡崎乾二郎と北川裕二(美術家)はメールの洪水にうんざりして体調を崩したという名目でNAMを休会(実質的に脱退)した。RAMも停滞に停滞を重ね、MLは雑談になり、プロジェクトは少しも具体的な進展がなかった。

NAMはQとの泥沼の抗争、いやNAM側からの一方的で不当な攻撃によってQが破壊されたというほうが適切なのだが、そのような状況の中で自壊していった。
そして岡崎乾二郎は旧RAMメンバーの中から何人かを選び、Q商品カタログとか百科全書とは別のプロジェクト要員として勧誘した。その中に田口くんも倉数さんも私も入っていた。
「変態から編隊へ」と題されたメールが届き、新たなプロジェクトが開始された。それは、一定の形式で世界のあらゆる情報をカード化しようという壮大なものだった。
しかしそれも潰れた。

そして、イラク戦争が始まると、岡崎さんが突如、反戦イラストを描いてはあちこちに転送するということを始め、RAMは反戦デモ団体になった。
インターネットでひたすら情報を検索して分析し、デモに出る、私達はそういうことをやっていた。
そのうちに、改憲問題も議論するようになった。
岡崎乾二郎護憲派として『世界』別冊にも登場した。
http://www.iwanami.co.jp/sekai/2004/ex01/directory.html

そのRAMを何故私が辞めたか、ということだが、それは、RAMの主要メンバーである岡崎乾二郎王寺賢太田口卓臣のQ-NAM責任を追及し批判して自らは辞めたということだった。
彼らは良心的知識人であった。だが、柄谷行人の暴走=組織破壊を傍観するのみで、何ら積極的な阻止行動はしなかった。私はそれを批判したのである。

岡崎さんはその後も私のインターネットラジオを聴いてくれたりして交流があったが、数年前から交流がなくなった。最近Twitterで一瞬再会したが、すぐに別れた。岡崎さんが言うには、RAMは関係を組み替えてしまっていた、というのである。組み替えられた関係において私(達)と岡崎さんの関係は人間的なものではなく、機械状のものだった。

まあそれはいいとして、そのような経緯があったのである。
私の活動家としてのスタートはRAMカタログ左翼としてであった。