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生きるのに倦み果てていた。生きるのは、活動するのは、働くのは、単に辛く厭わしかった。だから私は、死を願った。美しい死を! このあり得ないものを! ──全ての死は偶発的であるにも関わらず、必然、運命としての死を望んだのだ。三十五年生きてきて、もう十分だと思った。自分は自分の生を、運命を、十分に生きてきたと思った。だから死にたかった。
私は精神病院では、回避性人格障害と診断されている。だが、病院での診断などどうでもいい。大事なのは、私が金がなく、生きる意欲も働く気力もなく、有為な何をもする気がなく、無為の裡に死にたいと願っていた、ということだった。
無為としての革命、革命としての無為を掲げたレッツを、私は再びやろうとしていた。無惨な失敗に終わったレッツの実験。私はそれに、再び手を付けようとしていた。私は、毎日、朝から晩まで、レッツで店番している。しかるに、一人も客がない。時給0円か1円の世界である。自営業が厳しいとは聞いていたが、ここまで厳しいとは思っていなかった。だが、賃労働の世界に引き返すつもりは、もはやない。一歩踏み出してしまった以上、先が断崖絶壁だとしても、前に進むよりほかないのだ。
ありとあらゆる条件が、私とレッツの生存を不可能だとしていた。どう考えてみても、私とレッツは生き延びられるはずがなかった。しかし、私は、その不可能に挑戦しようとしていた。もう賃労働に戻るのは嫌だという強い恐怖感が、全てを支配していた。惰民は惰民としてしか生きられぬ。勤勉には生きられぬ。労働は厭わしく苦痛であり、そしてそれ以外ではあり得ない。だから、だらだらするしかないのだ。だらだらと、死へ向かって、行進するよりほかないのだ。
他者からも切断されて。三十五歳にして私は、ほとんどひきこもりであった。社会や他者、外部との接点が全くなかった。そしてそのことを苦にしていなかった。むしろ外部や他者は恐怖の対象であった。来客がなければ経営は成り立たないが、しかし内心、来客を恐れてもいた。対人恐怖症の接客業という矛盾撞着した存在! それが私でありレッツだった。