絶望-0

自分は絶望的な気持ちになった。
もう読むこともまともに書くことも、何もできぬ。働くことも、生活することも、うまくできぬ。生きることができない。生きられない。すると、死ぬしかないのか。
そう考えると、落ち込むが、どうにもならぬ。
店を開けていても、客は一人も来ぬ。
自営で喰っていくのは、勤めるのより数倍難しいと言われるが、自分はもう勤めるのは無理である、トラウマ的に恐怖感情が先に立ち、他者や社会と関われぬと思ってしまう。なので、客が来ずとも、店に座っているより他ない。
自分のピアノは、フリーである。フリーを好んで聴く人は少なかろう。聴衆を想定すれば、妥協が必要だろうが、自分はこうしかできないのだ。
こうある以外にあれぬ、自分がいる。
前田さんやiwaさんとのヴァーチャルな繋がりも、どこまでしっかりしたものかわからない。脆弱なものではないか、と思うこともある。iwaさんとは、会ったことすらないのだ。
唯一の攝津ファン、前田さん…。落ち込みがちでネガティブシンキングの自分に対し、前田さんは様々な面白いアイデアを提供してくれる。音楽ソフトを習得して音楽で喰っていくとか。そうできたら、どんなにいいだろう。だが、躊躇いもある。自分に、それだけの能力があるか、どうか、わからぬ。自信がない。だから八万円のソフトを購入するのを、躊躇う。購入して無駄になったら、洒落にならぬ。
ともかく鬱々とし、生きるのは難しい、とばかり、考えていた。それも全て自分苦である。
自分だけに関わる利己的な苦しみである。
苦しみが、自分だけのものであることに、良心の呵責も覚えたが、どうにもならなかった。もう、政治活動は、無理だった。倫理も放棄せざるを得なかった。
どうにもならぬ、駄目な自分がいる。デス見沢の言う通り、過保護に育てられた駄目人間である自分がいる。
そんな駄目人間に、大したことができるはずがないのだ。できることなど、大してあるはずがない。でも、ささやかでいい。ささやかでいいから、できることを、試してみたい。ICレコーダーでの録音やUstreamなどは、あがきである。ポロポロである。シコシコ、カキカキである。
表現者としても未熟であり、餓鬼、幼児である。
単なる、下手である。
だが、表現したいから、続ける。それだけだ。
ここで一旦、送りたい。