貧しい人々
母親・攝津照子が、TVを見て盛んに不安を訴えている。何についてかというと、中国の農村部には膨大な保険非適用者がいて、彼・彼女らは病気になっても医療を受けられず、都市に行って受診しても一週間の治療で半年分の賃金が吹っ飛ぶくらいだという。なんかどっかで聞いたことあるような話だと思いませんか? そう、アメリカ。アメリカは資本主義国家で、中国は(建前上は)共産主義国家だけど、膨大な貧民がおり格差が広がっているという点では不気味な一致を示しているのだ。
それと、本そのものは読んでないが、最近ミー猫さん(マイミクシィ)が、ルーマニアでマンホールで暮らす貧困層を取材した本のレビューを書いていた。それを読んで、世界各地に貧困というのはあるので、我々がいかに辛いと言っても、医者には掛かれるし、自宅(ホーム)はあるし、恵まれているのではないかと思わざるを得なかった。
母親の不安もわかる。うちの母親は、日本国内についても、NHKの無縁社会についてのドキュメンタリーを見て、孤独死、無縁死について不安を抱いたそうである。私もそれちらっと見たのだが、縁=アソシエーション=連帯・連合=絆=舫のようなものが崩壊している、共同体、中間団体が崩壊している今の孤立化された社会のことを考えずにはいられなかった。私も、孤独や無縁の人になるかもしれない。インターネットで友人と繋がっているが、それはあくまでヴァーチャルなものであり、顔の見える関係ではない。身近に話し合える相手がいない。孤独である。無縁である。母の訴える不安は私のものでもあった。
まーTVは所詮TVなんで、TV見て不安に陥ったり落ち込んでもしゃーないのではあるが、貧困なり無縁ということについて考えずにはいられなかった。考えても何の答えも対策も見出せないのだが。惰民党はひとつの答え、答えの試みであろうか。しかし、惰民党にしても、「我々は支援する側ではない、支援される側だ!」なのである。答えとは言えないかもしれない。