船橋市地域生活支援センターオアシス→特定非営利活動法人地域生活支援センターアーモ

船橋市地域生活支援センターオアシスに行き、Oさんに話を聞いていただく。その後、二和向台にある、カフェ・アーモ(特定非営利活動法人地域生活支援センターアーモ)へ向かうが、Nさん夫妻は、最近金杉台団地のほうにできたという第二アーモに行っていて、不在。出てきたアーモの人に、また出直すと言って帰宅。カレーを食べ、入浴。社民党のKさんに電話し、昨晩断ったピアノ演奏の件を引き受けると連絡。今、折り返しの電話を待っているところ。
行き帰り、レッド・ガーランドの『ミスティ・レッド』、セロニアス・モンクの『アンダーグラウンド』『アット・ニューポート 1963&1965』を聴くが、古今東西の音楽を聴きまくった挙句やっぱりモンクが一番落ち着くという結論になるのはちょっと寂しい気もする(笑)。考えていたのは、「絶望の教室」ということと、「悪魔」ということ。「絶望の教室」というのは、NAMで私がそう呼ばれていた、仇名。悪魔というのは、精神病者精神障害者やそれを支援する人達には善人が多いと思うが自分は悪魔だと感じたから。私は、十年経っても、相変わらず絶望の教室だと思う。また、他者の心身を切り刻むより自分(の心)を切り刻むほうがいい、という結論も変わりない。私は、「自然」に振る舞えば、他者に攻撃的・破壊的であり、傷付けてしまうのだ。乱暴で、狂暴だ。だから、攻撃性を内向させ、自分自身を責めなければならぬ。それが私の自分苦の根源だ。だが、私が、「快癒」して、犯罪者・殺人者になるより、快癒せずに病人でいるほうがまだしもいいのだ。自分にとっても社会にとっても。そのようなことを考えた。