ナベサクさんへの応答

以下、私の日記へのナベサクさんのコメント。

なるほど、おもしろい論点ですね。

>でもそれは極端にいえば、金を与えて、あとはパチンコ屋って首くくって死のうがそれは個人の自由、というのが正しい世界だということにもなっちゃう。

>それと、BI派って文化左翼に結構いるんですよね。彼らにとっては、最低限暮らせる金が与えられれば、あとの残った時間でクリエイティブなことを出来る奴がたくさん出てきて、面白い社会になるからいいというロジックですよね。東浩紀もそういうのに乗っかっています。いろんな所から野合しているんですね。飯田さんと雨宮さんの対談でもBIでは意気投合しています。

>どうしても子ども手当のような、行政を回避する家計直接給付型のBI的な所得保障が優先されてしまいます。

>こうしてBI型が前面に押し出される一方で、公共サービスの拡充が後景に退いてしまっています。

あかねで誰かがBIをファシズムと言っていたのが印象に残っています。
歴史上、BIをやった有名な国家はあって、古代アテネ古代ローマ帝国主義国本国ですね。
古代ローマでは「パンとサーカス衆愚政治の典型と世界史の時間に教わるところです。
古代アテネでは、民主主義の完成者とされるペリクレスデロス同盟の資金を流用してBIを行います(ナチス時代のドイツでは、御用学者はヒットラーペリクレスに擬えたそうです)。貴族派の方がインターナショナルで、ペルシアとの戦争に備えてデロス同盟諸国から集めた金をアテネ市民のBIに流用するのはおかしいではないか、とペリクレスを議会で攻撃します。ペリクレスはそれに対して、ペルシアに対して血を流して戦ったのは誰か、我々アテネ市民ではないか、であれば、デロス同盟の資金をアテネ市民の生活のために使うのは当たり前ではないか、と演説して、議会ではペリクレスの意見が通ってしまうんですね。
やがて日本の議会でBIが審議されるときに、第三世界人民から搾取した金をすべてBIに廻してしまうのは如何なものか、飢えて死ぬ第三世界人民を救うためにもう少し金を廻すべきではないか、と反論する国際的視野のある議員はいるでしょうか。

私は倫理を喪失した、運動を辞めた、転向したと感じるが、それはこのような議論に接してよくわかる。私は第三世界人民のために自分を犠牲にしたいとは露ほども思わぬのである。わがままであり、利己的である。自分苦ということを言い出したが、自分が苦しくて他者を顧慮する余裕がないということだが、第三世界人民のことを思いやる余裕がない。よくも悪くもそういう状態である。

NAMの頃太田出版社長(当時)の高瀬幸途さんがいて、オルター・トレード・ジャパンなどフィリピンのフェアトレードをやっていたが、彼は日本人の生活水準は漸次に下がるしもっと下がったほうがいい、という意味のことを言っていたが、そして今その通りになっているが、そうした議論で見落とされているのは、自分の生活が苦しくなればなるほど他者を顧慮する余裕がなくなるということだろう。フェアトレードなり協同組合、地域通貨含めて、好況時の思想なのである。不況時にはそういう余裕がなく、現金を配れとか言い出す人が現れたりする。

よく衣食足りて礼節を知るなどと言うが、衣食足りるというのが礼節=他者尊重の倫理の前提、条件である。自分自身食えないのに他者を助けたりできない。できる人もいるかもしれないが私には無理。