『シコシコ』-1

攝津は自殺しなければ、今の苦しみから逃れる事は出来ぬと考えてみたりもする。自殺したいという考えは二十年以上前から続いていた。逆に言えば二十年以上も生きてきたのだから、今後も生き続けられるとも言えるかもしれなかった。それはよく分からぬ。
攝津が自殺を願うのは、音楽の悪魔的な力に囚われたが故であった。十四歳の時に聴いたホロヴィッツの衝撃以来、自分の到達出来ぬ高みに音楽芸術があり、それに到達出来ぬ自分は死ぬべきだとの考えが頭を離れぬ。音楽を止めて、或いは趣味だけにして、普通に・平凡に暮らそうという考えは攝津には無かった。平凡を否定する事が逆に凡庸さの証であった。攝津は亜インテリであったのと同じく、似非芸術家、三流ピアニスト志望者でもあったのである。
皆が皆、口を揃えて、文章でも音楽でも食ってはいけぬ、どちらかと言えば文章のほうがいい、音楽でというならピアノより三味線のほうがいい、と言った。だが攝津は、ジャズピアニストになりたいのだった。自分の不器用さや限界はよく認識していた。だがそれでも、そう願う事をやめる事は出来なかった。
今日、石田幹雄という人のライブに行ったが、攝津は嫉妬を感じ、猛烈な自殺衝動に襲われた。何故、自分ではないのか。どうして、自分では駄目なのか。答は自分自身が駄目人間だからという事以外無いのだが、それを問わざるを得ず、それを問うたびに肉体的・精神的・神経的な苦痛が萌した。苦痛は攝津を解放の願望へ誘い、それは死を意味した。解放者としての死。一切の苦痛からの、あの根本的な「自分苦」からの解放者としての死! だが、攝津は死ねぬのが分かっていた。それは「人倫」の故である。自分が死んだら親が悲しむと思うから、死ねない。親が亡くなったら、親から解放されたら、唯一の自発的な自由な自分の行為は自殺であろう。生からの解放であろう。それ程攝津の生への厭悪、死への執着は強かった。
攝津は二十年以上も死にたい死にたいと思いつつそれが許されぬという状況で生き長らえてきた。その間、音楽家になろうと試みた事は一度や二度では無い。だがその試みは全て失敗してきた。無数の試みの失敗の結果が今の駄目人間な攝津である。惰民の攝津である。惰性で生きている攝津である。
希死念慮は、ソニー・スティットの『ペン・オブ・クインシー』を聴きながら帰宅するうちにいつのまにか和らいでいた。自宅に居ると、いつもと変らぬ自分が居た。母親は無邪気に、今日のライブはどうだったか、ベースの立花さんは一緒にやろうと言わなかったか等と訊いてくる。それが攝津の音楽家としての誇りを再び傷付ける。だが攝津は、何事も無かったように淡々と答えるだけだった。ライブに行って死にたくなったなどと親に語っても理解されぬのは必定だからである。
母親が作ってくれたオムライスを食べた。そして一階の店に降り、この日記を書いた。今の気分は灰色である。澱んでいる。決して爽やかではないが、激烈に死に向っている訳でもない。ただぼんやりと欝である。