『シコシコ』-0

攝津は船橋在住(七十四歳の両親と同居)の、浦安の倉庫で働く三十四歳独身(同性/異性のパートナーが居ない)である。佐々木病院という精神病院に通っている。診断名は社会不安障害である。闇のソーシャルワーカーデス見沢の見立てでは抑うつ神経症2/10である。ユーキャンで簿記三級と日商パソコン検定の通信講座を受講している。基本的に朝七時に家を出て夜八時に帰る生活で、夜十時からはインターネットラジオをやる。内容はピアノの即興演奏である。段々認知されてきたのか、昨日もリスナーが六人居た。聴いてくれる人の存在がありがたい、と攝津は思う。
攝津には前田さんとiwaさんという二人の友がある。彼らの存在に励まされて、音楽なり文学、哲学なりを続けられているようなものだ。前田さんは、自分は攝津を褒め殺すかもしれぬ、と語る。それ程の攝津ファンである。世界唯一の攝津ファンである。有難いが、どうして攝津の事をそんなに褒めてくれるのかはよく分からぬ。Q-NAM以来の付き合いだが、Q-NAMには多様な才能の持ち主が居たのに、何故攝津なのか、がよく分からぬ。
前田さんはビートルズファンで、自分で曲も作る。『虜』『約束』などは完成度が高く、見事なものだと攝津は思う。ジャズを勧めたが、二日で耐えられなくなったという。ビリー・ホリデイチャーリー・パーカーから入ったとの事で、それはそうだろう、エラ・フィッツジェラルドサラ・ヴォーンソニー・ロリンズから入るべきだと攝津は忠告した。生粋のジャズファンでも、いきなりパーカーから入ってパーカーを理解したという人は少ない。何度も挫折を重ね、或る日パーカーが分かるようになる、という体験をしてきている。攝津自身もそうだったしiwaさんもそうだったし、いーぐる後藤さんの掲示板に集う人達もそうだった。
ところで攝津は、『労働』を連作にする事にした。原『労働』を第一章、『生きる』を第二章、第三章は『シコシコ』と題する事にした。そうしたのは、自慰であるという自虐と、シコシコ地道に更新するという意味を兼ねてである。

冒頭、『生きる』に入り損ねた断章を入れて置こうと思う。
攝津は爽風会佐々木病院に通院し、T先生の診察を受けた。出社恐怖の原因が思い当たったと話すと、それは良かったと。躁鬱なのでは?と問い掛けると、それはない、と否定。不眠時の薬を新たに追加して、終了。明日、どうすれば早退せずに済むのかは訊けなかった。
帰宅すると芸音にドラムをやる高校生Mくんが来ていた。ドラムセットを購入する計画を攝津の母親と話していた。それが終ると、家族で食事。そして、原因不明の疲労感の為、寝床で休んだ。朝青龍の夢を見て目覚めたら、いつの間にか十五時十分前、守田皮フ科クリニック受診の十五分前である。飛び起き、急いで準備して父親の車で病院に向かう。右足に出来たタコを切除して貰い、水虫の薬を貰って帰る。ウォルター・ビショップ・ジュニアの『ピアノ・ソロ』とジョー・ヘンダーソンの『インナー・アージ』を聴く。

「原因不明の疲労感」これが鍵である。この為に攝津は苦しんできた。休日欝の根本症状でもある。平日は、労働していると夕方頃元気になったりするのだが、休日は逆に、夕方頃から夜に掛けて抑鬱が深まった。理由は分からないが、それに苦しんできた。休日が休日欝で、翌日それを引き摺り早退、その翌日は欠勤、というパターンを繰り返してきた。だから昨日は、そのパターンを断ち切る為抑鬱不安で非常に苦しくとも早退せずに頑張ったのである。結果、上手くいった。今日も上手くいけばいいな、と思う。
毎日休まず働くという当たり前の事が難しい。以前は出来ていたのだが。欠勤・早退せずに一ヶ月、二ヶ月通して働く事も出来ていたのだが。思い返せばその頃も、シビアな抑鬱に堪えて早退せず堪えていたものだった。今も昔も変らぬ。問題は、堪えられるかどうか、だ。気持が切れてしまっているかどうかだ。強い気持で臨まないと駄目だ、と攝津は自省した。