『生きる』-33

日曜日の晩、攝津は豆乳の飲み過ぎで腹を下した。
攝津は、両親に収入が無い事が不安だった。父親は「電車に乗りたくないから」という理由で仕事を辞め、母親はカラオケ教室を解散してしまった。そして攝津自身の収入だけでは、住宅ローン一本すら払えぬ。こんな事で攝津家の家計は成り立っていくのだろうか? 攝津には全く訳が分からなかった。七十四歳にもなる両親の労働を当てにする自分も自分だと思ったが、現実条件に親は盲目だとも思った。親は、攝津がいつか「一発当てる」と信じ切っているのだ! そんな事などあり得ようも無いというのに。そんな無根拠な妄信が攝津を酷く苦しめていようとは、恐らく親には思いもよるまい。
ところで、レイさんというマイミクシィの方が今一生の『親より稼ぐネオニート』という本のレビューを書いていたが、攝津はその本については聞き齧った程度だったが、自営幻想を無責任に煽る姿勢には疑問を感じた。自営を始めて失敗したらどうするのか。個人事業は無限責任である。更なる地獄が待っているだけではないのか。ニートやひきこもりの多くが、経営の才能を持っている訳でも無いだろうし、商機を掴むに敏である訳でも無いだろう。彼・彼女らの人生に決定的な壊滅を与えかねぬ危険な幻想を振りまく事に、著者は責任を感じないのだろうか、と攝津は考えた。

親より稼ぐネオニート―「脱・雇用」時代の若者たち (扶桑社新書)

親より稼ぐネオニート―「脱・雇用」時代の若者たち (扶桑社新書)