『生きる』-21

階下で父親がおーい、と呼ぶ。出てみると、郵便受けに浜村昌子から送られた小包が入っていた。早速開封し、『Kind Mind』から聴くが、非常にシビアなフリーである。攝津は藤井郷子を連想したが、見当違いかも知れぬ。
攝津は自分がどういう音楽をやりたいのか・聴きたいのか、自分でもよく分からなくなっていた。攝津音楽と称するものは、まともな構築が出来ぬので逃避的にやっている物に過ぎぬ。手癖の集積。数名の方が価値を認めてくださっているのは有難いが、本当の所は通用せぬのではないかと思う。そして、スタンダードは攝津には弾けなかった。
浜村昌子の存在を知ったのは、いーぐる後藤さんのブログでだったが、好奇心からのみ大人買いしてしまう自分の買い物依存症がちと怖くなる。攝津、大丈夫か? 大丈夫じゃない? うむ。来月は買い物を控えよう。
攝津は消費しまくる資本主義の豚だ。豚として生きている。
豚! 豚! 豚! それが攝津の称号だ。
禁欲は攝津には無縁だった。浪費しまくる事こそ生き甲斐だった。

攝津は買い物依存症を除いては、全くの「良い子ちゃん」、親の言うなりに生きてきた。親の夢と理想を叶える為にのみ生きてきた。早稲田大学に入った時迄はどうにか良かった。大学院に進んだのが間違いの元だった。ここは一つ、どこでもいいから好条件の企業に就職しておくべきだった。そうしていれば、今の困窮している自分は無かった、と思う。だが、攝津は世渡りが下手なのだった。生き下手。
早稲田大学では授業に真面目に出、サークル活動を謳歌し、充実していた。大学一年生の頃、Cの家庭教師をしながらサルトルの『存在と無』を読み、難しいのに辟易したのを覚えている。しかしサルトルで難しいというなら、他の哲学者はなお難しかろう。Cを密かに同伴して哲学の授業に出た事もあった。佐藤眞理人先生の授業だった。攝津は大学院が懐かしくなって佐藤先生にメールしてみたが、応答は無かった。
だが大学院は逃避だったのだろう。企業に就職したくないから研究者を目指すなどというのは甘い考えだったろう。ドゥルーズを読んで食っていこうなんて甘過ぎる。今ならそう思える。だが、当時はドゥルーズを読んで生きていくのだと本気だった。
何故か覚えているのは、『哲学とは何か』でドゥルーズが、出来事はle temps mortに起こる、と述べていた事だ。直訳すれば死んだ時、ロスタイム。例えばパソコンの電源を入れて、立ち上がる迄待つ時間など。何故そのような時間が重要なのかは理解出来なかったが、ドゥルーズの不思議な着眼点が面白かったのは印象に残っている。
ドゥルーズを読んだ事が自分の人生に何の影も影響も落としていない事はあれだけの熟読は結局全く時間と労力の無駄だったのかと自問せざるを得ない。攝津には哲学は向いていなかったのか? 攝津にはヘーゲルフッサールは退屈だった。デリダは理解出来なかった。攝津は全く哲学的ではなかったのかもしれぬ。哲学的でない者が哲学科に進み、あまつさえ哲学研究者を目指してしまった悲劇の結末が、現在の非正規労働、肉体労働、単純作業という現実なのかもしれぬ。だが、現実は現実として受け容れねばならぬ、と攝津は考えた。