『生きる』

今日はこれしか書けなかった。

 その日も攝津は倉庫で八時間働いて帰って来た。このまま何時迄も肉体労働・単純労働に従事するパートタイマーであるより他ないのか? この問に理性はその通りと答え、情念はそれは堪え難いと悲鳴を上げる。だが、現実は受け容れねばならぬ。今ある自分が真実の自分である。それ以外に「本当の自分」などは無い。
 芸術家ぶりたがるのは攝津の虚栄だった。攝津には聊かも芸術家らしい所は無かった。凡庸そのもの。誰とでも取り替え可能。攝津自身、その事を良く分かっていた。自分は誰でもいい、非正規労働者の one of them に過ぎぬ。その人生を受け容れよ! だが理性が肯う事に情念が反逆する。攝津の不適応の原因はそれだった。それ自身、よくありがちなありふれた事例に過ぎなかった。