精神科メモ検閲済ヴァージョン

攝津正 2009.12..13 sun
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アップダウン・波が激しい。興奮したり落ち込んだりする。芸術家になりたいがなれないというジレンマあり。表現がうまくできない。ジャズを聴くのが趣味だがCDを買う金がないのでこのところレンタルですませている。協調性や他者への思いやりがない。同性愛の欲望があるがパートナーを見つけられない。先日会ったゲイの青年からは別れを告げられた。三島由紀夫の『金閣寺』を読んで感銘を受けたが自分も吃りだが世界からの疎外感や反社会的衝動は全くない。『仮面の告白』にも感心した。自分の発病は14才の頃だと思う。思春期の動揺におそわれた。高校時代ピアノの先生から様子がおかしいので精神科に行ってみたらどうかと言われ一度行った。二回目に行ったらそのクリニックはなくなっていた。幼い頃から母親からプロのジャズピアニストになれと言われ続けて育ったが無理なので不安・うつになる。母親は今もプロになれと言う。自分の才能の限界を感じる。自分は母親の夢をかなえるために生きているのだと思う。生きるのは辛い・大変だといつも思う。友達は皆、博士号を取り、単著を出版し、結婚して子どももいるのに自分だけ劣っている・くすぶっていると感じてそれが辛い。デス見沢先生の言うように他人は他人、自分は自分だと思うがどうしても比較してしまう。自分もデビューしたいと思うができない。ごく少数のファンはいるので大切にしようと思う。トラブルメーカーの自分を自分で疎ましく思う。フリーター労組に復帰すべきか否か思い悩んでいる。デス見沢先生は最後はみんな殺して自分も死ぬくらいの覚悟でと言うが自分にそれだけの覚悟・勇気はない。平凡な生活を平凡に生きて平凡に死ぬだけだと思う。自分は34才、もう若くはない。青春は終った。成熟し落ち着いている。自分は自分であるよりほかないという諦念と決意がある。人生に意味や価値は無いと云うのが自分の哲学・思想信条だがこれもありきたりのニヒリズムに過ぎないとも思う。自分はたまたま生れたから死ぬまでだらだら生き続けるだけだと考えている。一抹の淋しさを覚える。孤独である。多くの(元)友人らと絶交絶縁した。自分は狂暴だと思う。他人とうまくやっていけない、非社会的だと思う。駄目な人である。僕は「自分苦」の人である。自分自身と折り合いがつかず苦しんでいる。また屈折して自己愛的であり、自虐的である。自分で自分を自虐芸人と表象することがままある。自分は救われない失敗者だと思う。生存困難系である。身体はメタボだが健康なのに神経・精神が弱く病気である。それも自分の運命・宿命であると考えている。自分にとっては社会に適応して生きるのは難しい。しかし何とか生き延びよう、生き残ろうと思っている。どういう方途があるかわからないが、神の如くにマイペースで、生きようと思っている。先日もガス中毒で死にかけたが死はいつどこに転がっているか分からない。用心して生活しようと思う。二十才の頃友人から三十迄に死ぬと言われたがまだ生きている。(終)