独白
時間や余裕がないと少数の本を繰り返し読むようになる。最近リピートしてるのが、ニーチェの『善悪の彼岸』とドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』。ニーチェは竹山道雄という人が訳した新潮文庫。ドゥルーズ=ガタリのは、市倉さんの旧訳と宇野さんの新訳、両方持っていて、両方読んでいる。
少しずつ、繰り返し反芻する。牛。哲学的牛。反芻する動物。
ニーチェはそれに値する。
ニーチェは本当に、「危険な思想家」だと思う。その点、僕は永井均に賛成だ。だけれども、ヘーゲルやシェリングなどを読めないし、読む時間も能力もないんだよねえ。だから、他と比較して、ニーチェがいい、という認識に至ったわけではない。中高生の頃から読み続けてきて、今更になってその危険性、過激性に気付いたという。
ドゥルーズ=ガタリについては、倉数さんのように分からないものを歴史叙述として「理解」「了解」するのではなく、分からない部分は分からないものとして開いておきつつ、未知の世界に身を開いていく、という感じ。倉数さんの読み方だと整然としているが、実際の『アンチ・オイディプス』には意味が不明な箇所が沢山ある。そういうノイズなり不協和音と付き合って、それらを安易に内面化せず、「了解」せずに読んでいく。それが僕なりの読み方。
僕の読み方は倉数さんよりも山の手緑に近い、と直感的にそう思う。山の手緑は、『アンチ・オイディプス』を読み、矢部史郎+山の手緑で『現代思想』誌に書きまくった。外山恒一が指摘するように彼らの文章は読み難いのだけれど、読み難い文章を書いて何が悪いのだろう。明晰さ、分かりやすさだけが価値とされることに疑問を抱く。分からない文章を書いてもいいではないか。これは、思考の倫理の問題でもある。自分でもわけのわからぬことを、ただひたすらに考える自由、そういう思考の自由があると僕は信じる。ドゥルーズはそういう思考の教師なのだ。彼を単なる哲学史家に還元するアカデミックな読み方ほど、つまらないものはない。ドゥルーズにはそういう読み方もできるし、大学でドゥルーズを研究している人にはそういう読み方こそ推奨されるのかもしれないが、大学外で、生のうちで、独りで読んでいる独学者には別の読み方、考え方がある。或いは、あり得る。例えば、神沢さん夫妻のような生き方や考え方がある。
ドゥルーズ=ガタリが私的思想家を称揚したのはもっと重視されていい。
独りで生きる、独りで考えること。さらに、それが群れと繋がれば、もっといい。独りでいながら、多数であること。賑わっていること。そういうあり方もあるはずだ。
ドゥルーズ=ガタリの独学者的読み方。
整然としておらず、矛盾や逆説に満ち、奇妙な直感や信憑に満ちている、不思議な思想空間が実在する。
生きる、読む、考える。そして、書く。生の営みはそこでは豊かであり、貧しくもある。
僕は大学に所属していない。早稲田大学を追放された野蛮人である。
僕はドゥルーズの模範的翻訳者である財津理から、面と向かって「詐欺師」と罵られた人間だ(修士論文の口頭試問で)。僕の読み方は、詐欺師的読み方、フランス語能力に欠けたものの読み方、駄目な読み方、曲解だというのだろう。だが、「曲解」で何が悪い?
僕は哲学を辞めたのか?
自分でも分からない。
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