ちびっこリプレーザに送ったメールを編集した上で公開

攝津正 Tadashi SETTSU a.k.a. "Linda"です。
ジャズは毎日聴いているのでジャズ魂の連載は可能ですが、僕が非常に興味を持ち体験的にも書いてみたいと思っているのは「転向」の問題です。
いわゆるネット右翼の問題にも絡みますが、僕には彼らの心情がよくわかる(ような気がする)。(左翼的)運動に懐疑的になったり否定的になるのは当然ではないか、とも思う。そのあたりの心情の機微を描写してみたいです。
簡単にいえば、家庭を持ったり、賃労働に従事したりすると保守的になったりする、世間一般にありふれた現象ですが、それには根拠があると思う。残酷な真実ですが、世界改良を目指すよき精神は、或る程度の生活の余裕なしには成り立たないように思うのです。自分の生活で一杯一杯のときは、他者のことを思いやる余裕が持てない。これは僕なりに実感的に了解できることです。非正規労働者全般のことを考えるより、自分の時給を50円でいいから上げて欲しい。自分の生活の改善に僅かなれど関わらない運動には興味が持てなくなる、等々。
また、憲法9条などについても同じです。9条さえあれば平和が保てるとは信じられなくなる。そういう懐疑には合理的な根拠があると思います。だから、改憲を阻止しようという人達が、信念を同じくしない人々を説得するには、理性的な根拠を提示しなければならない、と考えます。

また、労働の意味と無意味についても考えてみたいです。働きながら、そのことの意味と無意味について日々考えています。

僕のことは、リプレーザに載せた「惰民論」で知っている人も多い。その読者から、かつて惰民を礼賛した僕が今人より多く働いているのは矛盾ではないか、という指摘も寄せられています。そのような問い掛けにも応答しつつ、働くこと/働かないことについて新たな視点を提示したい。そのようにも考えます。