賃労働百八十一日目 【攝津正の構造改革】

攝津正・攝津孝和 9:00-18:00.
【攝津正の構造改革】を構想する。具体的には、車の運転免許を取る、読書と音楽鑑賞を止める、浦安か新浦安で一番安いボロアパートの狭い部屋を借り一人暮らしをする、そして【性に関して何か大胆な行動をする】、といったことである。運転免許云々は、車通勤に慣れてしまうともう電車通勤の苦痛には戻れないし、父が疲れている日には交替して運転もしたいというのが理由。読書と音楽鑑賞を止めるというのは、金さえ払えば哲学者・作家や音楽家としてのステイタスを得られるのではないかといった無根拠で甘い思い込みを断ち切るため。大学院生時代読めもしない洋書を毎月毎月買い込んでいたのと、今聴きもしないCDを買い漁っているのは行動パターンが同じ。それを断ち切らねば、と思った。アパートを借り云々は会社の近くに住めばそもそも通勤の必要もないという発想である。
性に関して……。私は相反する二つの方向性を同時に考えている。一つは異性愛主義的なもので、女性をナンパしカップルになり、結婚して子どもを作り落ち着こうというもの。もう一つは同性愛的だがさらに二つに分岐する。一つは体を鍛え性的魅力・セクシーさを増して男性相手に売春したりゲイポルノビデオに出演してはどうかというもの。二つは、それとは両立不可能だが、玉抜き(去勢)し女性ホルモンを投与して中性的な身体を獲得したい、その模様をドキュメンタリービデオに撮りたいというもの。しかしいずれにせよ、十代、二十代ではなく三十代の私には無理なのではないか。それにそんなに女性化願望性転換願望があるのかといえばそんなになかったりもする。単なる思い付きである。【単なる思い付き】で性を弄ぶことは良くないのか。別にいーじゃん。
ともかく現在の私は、肉体から顔から髪型から体型からファッションに至るまで、【性的魅力(セクシーさ)】とは無縁である。無様なメタボ体型。これをどーにかせねば。男性化するにせよ女性化するにせよ、今のぶよぶよ太った身体では駄目である。これをどーにかせねば。フィットネスクラブとかスポーツジムやプールに通って日焼け&筋肉増強。いやーできんでしょ。無理でしょ。
週末に三百枚書ければ月産千枚達成できると計算したが休日には全く書けなかった。また、哲学書を読めもしなかった。原書で読むのは勿論無理だが、邦訳すら読めなかった。文学書に関しては読もうという気持ちすら起きなかった。端的に、知識人としては終っている。読まぬ故、書けぬ。何の価値も意味も方向性も無い。人生そのものが無意味である。何をしようと一時の思いつきに過ぎず、何の意味も価値も生産できない。私自身が無意味な屑である。ありとあらゆる意味で、価値が無い。としか思えない。