賃労働百四十一日目

攝津正 9:00-18:00 7時間45分 時給850円 6587円。
朝異常に人がいない。Nさん、Tさん、Iさん、それに私くらい。4番の小分けをするはずのフィリピン人のFさん(今月末で退職)は来ず。というわけで、菓子ボールからMさんに手伝いに来ていただいた。私は一所懸命5番の小分け。テーブルコショーをはじめいろいろやる。が、一人でやれることは限られている。
午後は5番のピック。やはり自分で作った棚を自分でピックするというのは気持ち良い。自分でやったから全部足りていると分かるし、安心感がある。しかし草臥れた。
ピック終了後5番の小分けをするがあまり時間がなく、つゆの素を6個しか作れなかった。明日、Sさんが来てから一緒にやろう。やっぱ二人いないと回らないわ。
小曽根真の『スプリング・イズ・ヒア』、夜小曽根真の『ネイチャー・ボーイズ』を聴く。なんだか心が落ち着く。『OZONE』に比較すると安定感が増しオスカー化してるように聴こえるが、悪い印象ではない。

ネイチャー・ボーイズ

ネイチャー・ボーイズ

いろいろ考えたが基本的に憂鬱である。哲学研究、ジャズ研究にそれぞれ数百万円を注ぎ込んだが、何の成果もなく何ひとつものにならず何者にもなれぬのであれば、真剣に自殺を検討したほうがいいのかもしれぬ。借金の山だけが残るのであれば。そして何者にもなれぬという蓋然性が極めて高い。
死んだYのことを想起する。
何かで読んだ挿話を想起する。山下洋輔の若い頃のライヴに近所の魚屋の兄ちゃんが毎回異様に真剣な面持ちで通い続けていたが、或る時彼は自殺した、という話が一つ。話はそれだけだが、私が想像するに、その兄ちゃんは大学ではとんがって政治運動などやっていたが挫折して実家に戻り家業を手伝っていた。が、自らの本来的な課題とかけ離れた日々に耐え切れず自殺したのではないか、と思う。
もう一つ。山下洋輔に『洋輔アローン』という、彼の中では本当に良いアルバムがあるのだが、或る難病の少女が病床でそれを気に入って繰り返し聴いていた。或る日彼女は亡くなるが、その時もレコードで『洋輔アローン』が流れ続けていた、という話。
死に纏わる音楽を聴きたい、とふと思う。ジャズではゲイリー・バートンの『葬送』くらいしか思いつかないが、クラシックではベートーヴェンショパンに葬送行進曲付きのピアノ・ソナタがあるし、リストにも葬送曲という題名の良い曲がある。それをポリーニアルゲリッチ等の演奏で聴きたいと思ったが、持っていたかどうか記憶が定かではない。アルゲリッチ盤は持ってなかったような気もするが、どうだろう。
自らの異常性と狂暴さを考える。
ここで一旦送る。