帰りの電車内で

私の人生は全く無意味で失敗したものだと考えていた。そのうちに生きるのが厭になった。私が自殺を思いとどまっている理由は、両親が存命だからということでしかないのだから、両親が亡くなれば晴れて自殺できると思う。純粋な思想で涙が出るということが分かった。私の人生は無意味なる苦痛の連続でしかない。両親は夢や目標を持てと激励するが、それも苦痛でしかない。私自身は「夢追い型」ではない。夢を追っているのは私自身ではなく両親だ。私は両親が望むような仕方で人生を送ってきた。しかし、両親がそう望もうと叶えられぬこともある。私はジャズピアニストになることができない。そのことは人生の根本的失敗、欠陥であるように思われる。哲学者になるのを諦めたように、作家になるのを諦めたように、活動家になるのを諦めたように、音楽家になるのを断念せねばならぬ。そして死ぬ。私は、「生きることはよい」「殺すことはない」とは思わぬ。そうしたことを生の原則にはせぬ。私は、生きることはよい、とは思わぬ。よいとはいえぬ生もあるのだ。それが私自身の生である。私は生きていたいとは思わぬ。生きていて何かいいことがあるとも思わぬ。完全に無意味で無価値である。私は生きることを欲しない。