後藤雅洋さん(id:eaglegoto)に答える

新年早々「答えに窮する」様な質問をしてゴメンナサイ。それはさておき、広告代理店のマーケティング担当者でもなければ社会学者でもない、ジャズ喫茶店主である私も、そして、音楽ファンであるあなたも、ジャズを「記号学的」に「解釈する」必要などないのではないでしょうか。とは言え、「美的体験を共有する者らの共同体の公共的合意しかない」というのはおっしゃるとおりで、私たちはそれを「共同主観性」と称しているのですよ。

また、私の理解によれば、アドルノが言及している「ジャズ」は、確かビ・バップ以前のスイングではなかったかなあ。それにしても、いまどきプラトンイデア論を持ち出されても、あまり説得力は無いと思うのですが、、、また、さまざまな「判断」の基礎となるのは「感覚的現象」であって、現象学はまさにそこのところをモンダイとしているわけです。

「その資格を決めるのは誰が・どのようにしてなのか」は、端的に言って価値観を共有する文化共同体の判断でしょ。とは言え「美的判断は「抗争」からしか生成しない」というのはおっしゃるとおりで、私はそこに一種の弁証法的展開を見ております。

私が現象学に偏見を持っているとすれば、後藤さんは少々記号論に偏見をお持ちなのではないでしょうか。存在者の基本的性格を記号と捉える見方は、広告業者や社会学者の専売特許ではありませんよ。

判断の基礎が感覚的現象だというのは私もそう思います。プラトンは古いから説得力がないが現象学にはあるとは私は考えません。「これは美しい」という美的(感覚的)判断の根拠としてはイデアのようなものを考えるしかないのではないのか、と思うのです。

価値観を共有する文化共同体といっても、それ自体が複数的であり、多数多様です。弁証法的展開があるという見方には賛成です。