『ケイゾク』の現代性

中谷美紀主演の『ケイゾク』をリアルタイムで視聴していた者らは、大きく二つの反応に分かれた。古典的な規範を維持していた者らは、「なんでこんな意味不明な展開に?」と困惑し、そうでない者らは興奮した。私は勿論後者。

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物語の真ん中あたりで、自殺が相次ぐ。先ず、美術商の娘(犯人)が逮捕を昂然と拒んで自殺し、中谷美紀が悲鳴を上げて、その悲鳴でその回は終わる。その次の回、中谷美紀は刑事を辞めることを考え、大学時代の同級生(女性)と一緒にいるが、連続殺人が起きる。結論から言うとその女性が犯人で、中谷美紀を陥れようとしていたのだが、最後にビルの屋上で中谷美紀が、「どうして?」と問うと、彼女は「分からないの」と呟き、「助けて」と繰り返しながら飛び降りる。手足がありえない角度に折れ曲がった映像が一瞬入る。
結局、その女性の恋人の男が催眠術?で多数の人間を操っていたというからくりなのだが、主体性の曖昧さというか、なんだか自分が自分の意思で動いていないような、操られているような漠然とした感じといった現代的感覚を表出していると思う。『多重人格探偵サイコ』なども同じ。
映画でいえば、『第七の大罪』だったっけ?あれを思い返すことが多いんだけど、犯人が刑事の妻の頭部を持参し、刑事が悲鳴を上げながら犯人を射殺するラストシーンが非常に印象的だった。あと『シックス・センス』の自分自身が死んでいたというラストとか。自分自身の主体的な意思でなく、他者から操作された痙攣的な反応しか返せぬ状況、或いは自分自身が死んでいるような状況、それは極めて現代的な感覚だと思うがどうか。

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