賃労働九十四日目
攝津正 9:00-17:00 6時間45分。時給850円。正月手当25%増し。
あけおめことよろ。
電車内でフィニアス・ニューボーン・Jr.『ヒア・イズ・フィニアス』とクロード・ウイリアムソン『ラウンド・ミッドナイト』を聴く。ジャズ・ピアノの奥深さを窺い知る。フィニアスのものはみな良いが、『ヒア・イズ・フィニアス』は特別だ。キレが違う。晩年のものも良いけれど、この剃刀のような鋭いピアニズムには誰も敵うまい。バド・パウエルの後継者というと、黒人ではバリー・ハリス、白人では「白いバド・パウエル」クロード・ウィリアムソンということになろうが、今日は彼の良さが初めて分かった。
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私が考えていたのは、哲学的・経済学的・記号論的な「価値論」の困難ということ、そして「可変的なる諸規則、複数的なる諸規範」という私の変わらぬテーマだった。
例えば、id:eaglegotoは、ジャズ喫茶店主の立場から、現象学的にジャズの美学を練り上げようとしている。つまり、共同主観的(間主観的)にという意味である。しかし、私は、現象学的接近に断固反対である。世間では、四谷派と吉祥寺派があると言うが(「いーぐる」と「メグ」)、私は二和向台派である。壊乱的ないし攪乱的なる聴取。意味-無意味の境界を走り抜ける聴取。行為としての聴取。価値観を組み替えるような聴取。そのような聴取がありはしないかを問う。id:eaglegotoの場合も、マルクスが言ったように、その「存在が意識を規定する」。要するにジャズ喫茶店主の立場を正当化する議論として、彼の現象学はあるのだ。私は、ジャズ喫茶を経営もしておらず、常連でもない者として、自由聴取を行う。
話は変わるが、現代的労働とは、記号解釈・象徴表現である。これが攝津哲学の第二のテーゼである。だめ連のペペ長谷川が、mixi労働を現代的労働の典型として挙げたが、別に間違ってはいない。しかしそこで、価値生産的-非生産的の境界が走り抜けられている。
突飛に思われるかもしれないが、ケインズは、経済学におけるジョン・ケージである。彼のシニカルな議論、つまり公共事業として、穴を掘り、そして埋める端的に無意味で無価値な雇用を創出すれば良いという議論は、経済学における「4分33秒」である。そこでは意味なり価値概念が揺るがされる。マルクスは、労働価値説に立つ限りはリカード派たる限界を免れぬ。マルクスの価値論は揺るがされている。遥か昔から。
ここで柄谷行人の『探究I』に立ち返ってみたい。「売る立場」「教える立場」に身を置くとはどういうことか。無意味化-混沌の危険に身を曝すということである。仮に商品が売れなかったとしたら、その商品を生産した労働は非生産的であったということに(事後的に)なる。「教える立場」も同様で、例えば外国語を教える場合を考えてみれば良い。生徒が私の語ることを理解しているかどうか、常に不断の危機がある。コミュニケーション-交換の不成立という危険があるのである。
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ケインズの例は面白い。穴を掘ってそしてまた埋める作業を延々繰り返す労働者は、価値を生産しているのか、どうか。
何年か前2ちゃんねるで次のような川柳を見た。「ソクラテス 自分に生きたら 殺された」。
「4分33秒」は一回きりであるから面白いのであって、あれが常態であったなら面白くないだろう。ジョン・ケージ以外の誰かが「5分」という曲を書いたらどうなるのか。それは無意味・無価値なのではないか。しかしそう判断するとすれば、その根拠は何か。
ジル・ドゥルーズは意味が不明なことを多く語ったが、ふと腑に落ちる言葉もある。「自分を世界の色で塗れ」というのもそうだ。私は今、自分自身を世界の色で塗っている。信仰の騎士。