冥想録

一日八時間週六日働いて月収十五万円は厳しい。が、原稿料で生活していた頃は、多くて月収二万五千円とか、そういう世界だった。それに比べたら、まだましだと言えるだろう。俺は文芸家や思想家としてでなく、活動家として依頼が来ていたのである。その証拠に、脱左翼宣言してから以降は一本も原稿依頼が来ない。俺は活動家として「目立つ」存在だった。多数のMLに入り、投稿を繰り返していた。しかし、或る時期から、特に俺に興味を持つ人(例えばこのブログを検索して来てくれるような)以外には自分を閉ざすようになった。