月産1000枚本気で目指す

あかね当番。
和辻哲郎の『日本精神史研究』(岩波文庫)と大塚英志『彼女たちの連合赤軍』(角川文庫)読み面白かった。

日本精神史研究 (岩波文庫)

日本精神史研究 (岩波文庫)

「彼女たち」の連合赤軍 サブカルチャーと戦後民主主義 (角川文庫)

「彼女たち」の連合赤軍 サブカルチャーと戦後民主主義 (角川文庫)

浅田彰連合赤軍やオウムや宮崎勤事件を蔑んで、「落ちこぼれの馬鹿が暴走してもろくなことにならないというだけだ」と切り捨てているという話を読み(同様の主旨の発言は『批評空間』でも読んだ記憶があるが)、では自分と同伴している(多分「落ちこぼれの馬鹿」ではないであろう)柄谷行人がやった「暴走」としてのQ-NAMに、NAM会員として関わった自分自身の責任と馬鹿さ加減については自覚しているのかと反問したくなった。

浅田彰はNAM会員であり、しかも幹部待遇(規約委員)であった。しかし彼は、公然とはQ-NAMにおいて何もしていない。Yから聞いた話だが柄谷行人が暴走しようとしていた頃私信で引き止めていたらしく、浅田彰が諦めた後柄谷行人を止める人が誰もいなくなったとのことだが、そんな「裏」の話はどうでもいいのである。Q-NAMのMLという公然とした「表」の場で彼が誰にも何も語らなかったというその不作為において彼は柄谷行人=NAMに加担したのであり、責任がある。そのことをどう考えるのか。内心どう思っていたとか、そういうことは一切言い訳にならない。表の場での言動が全てである。そこからすると、Q-NAMのカタストロフにおいて浅田彰は情勢を理解していながら公然とは何もしなかったNAM会員(しかも幹部)ということになる。

柄谷行人が口を極めて赤軍を罵ったところで、NAMの観念論的過ちが赤軍派など過去の左翼と同レベルである事実は覆いようもない。つまり、「資本と国家を揚棄する」というマジックワードに魅惑され騙された人々ということである。その言葉の上だけの乗り越えをもって、現実が見えなくなり、何もできなくなったというのがNAMの実態だ。そのことを隠すことはできない。

浅田彰の発言に関しては、「落ちこぼれ」に対する差別的な視線が生理的に厭だ。不快である。エリートを自負するものの傲慢としか思えない。