今日は家でお仕事。

地元の高校生にドラムを教える。その後、ファンキー・シーズライブ。
参加予定だった反G8東京デモへの参加はドタキャン。

いろいろ理由はあるが、昨日の行動への失望が大きい。端的に言えば、余りにも退屈で、耐えられないと思ったのだ。

退屈な正論にどこまで耐えるかというのは大きな問題だが、昨日のスーザン・ジョージの講演で、「暴力」が批判されたのにはがっかりした。誰だって無用な暴力や殺人には反対だ。が、彼女が批判したのはそのようなレベルではなく、デモ隊の一部がちょっとガソリンスタンドの窓を割ったとか、その程度のことだ。暴力に訴えると、マスメディアはそればかり報道し、それ以外の取り組みが報道されなくなるから暴力に訴えるなという。が、デモがある程度暴動的になるのは、時には当たり前のことだ。

ダブスタだなあと思うのは、チベット暴動でチベット人が漢族の店を破壊したりしても誰も文句言わないのに、左翼がちょっとどっかの商店なり銀行の窓割ったりなんかすると「暴力!暴力!」と声高に非難されることだ。それっておかしくね? どっちも批判するか、或いは、どっちも運動が帯びる不可避の暴力性として肯定するかどっちかじゃないとおかしくね?

まあ俺も暴力は嫌いだよ。だけど、いい子ちゃんぶろうとして、仲間の一部を敢えてことさらに非難するスーザン・ジョージの姿勢には落胆せざるを得なかった。