デモ・パレードなど街路での集団表現を考える

東京プライドパレード延期を知り、街路での集団表現のあり方などを考えた。

まず、われわれがやっているようなサウンドデモがあり(参加者数十から数百)、WPNがやっているようなパレードがあり(参加者数百から数千)、性的少数者のパレード(参加者数千〜約1万人)がある。規模の問題は大きい。どのくらいの規模であれば、主宰者が掌握し切れるか、という問題があるからだ。

またその街路集団表現が、どの程度・どのようなありようで「政治的」なのかも問われるだろう。プライドパレードに人が集まるのは、それが左翼政治的でない(と看做されている)からである。

運営に関しても、どの程度開かれた公的なありようを目指すかという問題がある。しかし、これは一筋縄ではいかない。警察権力とどう応接するかという問題があるからだ。完全にオープン=筒抜けにしてしまうことは、反体制的な政治表現であればあるほど望ましくない。オープン・ミックス・パブリック(ひびのまこと)といっても限界があるわけで、オープンと言っても警察との関係があり、ミックスと言っても公安や差別者、意図的な撹乱者が入って来ては困るし、パブリックと言っても必ず何かしらの母体があってイベントは成り立っている。例えば5・3自由と生存のメーデーであれば、フリーター労組などから成る実行委員会がそれだ。

東京プライドパレード延期の原因として、理事会と実行委員会(公募で選ばれた)の意見の相違や対立が挙げられていたが、外部の人間からみるとこれは全くわけがわからない。一応東京プライドに登録だけはしていたが、情報が一切入ってこなかったので、全く文脈が分からない*1。仕方ないことではあるが。

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一旦ここで送ります。

*1:2ちゃんねるでは匿名の誹謗などが飛び交っていた。http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gay/1208240919/どこまで信用できるか不明ではあるが…。