讀賣新聞にて浅田彰がプレカリアートを論評

15面に登場。リアリティないなぁ。

だが、勝ち誇った資本主義がグローバル化を進展させる一方で、フリーターやニートなど不安定な生活を送るプレカリアートと呼ばれる若者は増えた。「脆弱な条件で若者は確かに働いている。ただ単に『資本主義/プレカリアート』と新たな二項対立で物事を考えては過去の反復になる。さらなる脱構築が必要だ」と語る。「両極端に人々が振れるのを躊躇させる、哲学の役割は高まっている」

誰も「新たな二項対立で物事を考えて」などいないでしょ。個別の労働争議や団交など具体的な事柄を一つ一つこなしてるだけだ。それに「さらなる脱構築」を実践的にやってる素人の乱とかだってあるわけでしょ。そういう実践をどう見るのか。どう関わるのか。

二項対立→脱構築というような枠組みこそ古いものではないのか。古いからいけないというのではないが、脱構築をというのなら、具体的にどういうことなのかまで踏み込んで語って欲しい。