東急電鉄による野宿者締め出し事件経過とご支援への感謝

攝津正です。以下、転載です。

のじれん下川です。(重複受信ご容赦ください)

昨年末に渋谷駅地下通路(しぶちか)から東急電鉄による締め出しについてお知らせし、そのための抗議行動やFAX等のお願いを皆様にしたまま経過報告をすぐにできずに申し訳ありませんでした。ご支援ありがとうございました。

現時点ではある程度取り戻したともいえますが、完全ではなく、しかも現在も不安定な状態は続いています(この6月に新しい地下鉄が開通しますが、その前後にまた何か新たな展開があるかもしれません)。とりあえず、この12月から現在に至るまでの経過を、のじれんのニュースレター(最新号)にまとめたので、この経過の部分を皆様に転送いたします。
なお、抗議声明に対する抗議声明への賛同団体・個人リストや皆様からいただいたメッセージは、HPの下記の部分に掲載してありますので、ご覧ください。
http://www.geocities.jp/nojirenjp/text/071220sandoulist.html

今後ともよろしくお願いいたします。

下川雅嗣

(転載歓迎)

東急電鉄による野宿者締め出し事件経過

2007年12月
2(日):しぶちかから野宿者が締め出される。渋谷駅の地下1階、地下2階通路(田園都市線半蔵門線改札周辺)にて、身体を横
たえて休息をとっていた野宿者が、巡回してきた警備員により「ここは寝る場所ではない」と指示され、寝られなくなりました。同場所では7、8年前から毎晩22時から終電までと、朝4時40分からの人通りの少ない数時間だけ身体を横たえて休息をとることができました。特に寒い冬は少しでも暖かい場所に入り、身体の緊張や疲労を和らげるために50名近い野宿者が利用していました。警備員による締め出しにより、同場所でおにぎりを配っていたボランティアも宮下公園に移動を余儀なくされました。厳寒期の12月に締め出しを行うことは命の危険にもつながるとして、同場所を管轄する東急電鉄(株)に対する抗議行動が開始されました。

3(月):越冬実会議にて事件の共有。現場視察。
12月〜3月の越冬期をのじれん単独ではなく、様々な立場でかかわる有志を募り乗り越えるために越冬闘争を取り組む実行委員会を立ち上げました。その会議の場でしぶちかからの締め出しについて共有しました。その後、22時に現地に移動し、周辺の野宿者からの聞き取りや警備員の巡回の様子などを視察しました。同場所は12月2日に東京メトロから東急電鉄に管轄が変わり、それに伴い警備態勢も変わったとのこと。警備会社の助役は、野宿者が寝られなくなった理由について、08年6月の新副都心線開通と「テロ対策」をあげました。私たちは、「テロ対策」を金科玉条に、すべてを押し切る社会の雰囲気作りに戦慄せざるをえません。また東急電鉄の敷地はいられなくなったが、109ファッションビルの敷地(約10名ほどが寝られる)では従来通り横になることができるとわかりました。

4(火):児童館再編成会議
しぶちかから追い出された野宿者を受け入れるために、従来から児童館で寝泊りする野宿者と受け入れ態勢について話し合いをもちました。当時寝ていたのは5、6名。この話し合いのあとから徐々に泊まりに来る野宿者が増え、「誰でも泊まることができる児童館」への再編に向けて、支援者の顔出し、泊り込み、毎週の寄り合いなどに力が注がれました。

5(水):宮下公園おにぎり配り顔出し
朝5時からボランティアによって行われる宮下公園おにぎり配りに顔を出しました。12月2日まではしぶちかで行われていたので、しぶちかで寝ていた野宿者も多く集まるのではないかとの予想に立っての行動です。集まっていた約60名に、「児童館で寝られる」ことを伝えました。

9(日):東急電鉄に申し入れ行動
2日の厳寒期締め出しへの抗議第一弾として「話し合いで解決すること」を求めた申し入れ書を東急電鉄に提出に行きました。前日の土曜日の共同炊事に集まった野宿者に呼びかけ、みんなで児童館に泊まり、朝6時起床。前日作ってあった雑炊を温めてみんなで食べました。この行動には渋谷だけなく新宿など他の地域の野宿者も応援に来てくれました。また、代々木公園でテント生活する小川さん、いちむらさん、たまたまフランスから来日していた活動家のアニーさん、大阪の仲間、奪われた居住権をかちとるために隅田川沿いでキャンプアウト行動を行っていた山谷の仲間、そのキャンプアウト行動の参加者など多くの仲間が集まりました。朝食後に小集会をもち、し
ぶちかから締め出された野宿者から現状報告、それぞれの仲間からの激励のあいさつをいただきました。そして東急電鉄へ申し入れ書提出。多くの警察がしぶちか周辺をガードする中、駅改札にて担当者の前で申し入れ書を読み上げました。しかし、担当者は受け取りを拒否。申し入れ書は後日、配達証明で郵送しました。

15(土):一般情宣
土曜の共同炊事の合間(17〜18時)に渋谷駅周辺へくり出しました。しぶちかの一般利用者、渋谷駅周辺を歩く方々に、しぶちかでの締め出しの経過を記した紙を配り、マイクで問題性をアピールしました。20名以上の野宿者が参加し、ビラを配りました。

18(火):一般情宣
土曜と同じく17時30分から渋谷駅周辺で一般情宣

21(金)東急抗議声明提出
しぶちかからの締め出しがあってから、抗議声明を作り、全世界の団体・支援者に賛同を要請しました。20日に集約を行い、ヨーロッパ、アジア、アフリカなどの団体を含む約140人、45団体から賛同をいただきました。この賛同者名簿を含めて東急電鉄(株)に抗議声明を提出。都内から50名近い野宿者、労働組合、支援者が応援に来てくださいました。東急電鉄本社手前でおよそ100mゲリラデモを行い、東急による厳寒期の野宿者締め出しに抗議しました。本社には警察官が東急の警備員かのように立ち並び、抗議声明提出は、機動隊や渋谷署の警察官によって妨害されました。その後、渋谷駅前でビラを配る情宣活動。立ち並ぶ警察官の異様な雰囲気に、逆に通行する多くの方々がビラを受け取ってくださいました。抗議声明もまた後日、配達証明で本社に送りました。

2008年1月
8(火):東急本社と事前折衝。
交渉の条件について野宿者約15名と事前折衝を行いました。こちらの当事者全員を含めた交渉をという要求に対し、東急はあくまで「3人対3人で」とつっぱりました。

15(火):東急本社にて交渉。
当事者1名を含む3人で東急本社と交渉を行いました。都内各地から40名ぐらいの野宿者が応援にきてくれました。東急側は今までの「テロ対策」という理由には触れず、「東急としては渋谷駅を日本一きれいな駅にしたい。清掃区域にはいることができないが、他の区域に関しては追い出しは指示していない」との返答。また、東急は、警備員に「どこが掃除区域なのか理由をはっきりのべるよう」徹底させると約束しました。当事者は「足の悪い仲間が凍えています。どうか寝られるようにしてください」と話しました。

16(水):しぶちか排除による犠牲者がついに出る。
早朝しぶちかに入る階段付近でひとりの仲間がなくなりました。救急隊員が蘇生をこころみたが助からず、死後病院に運ばれました。推定65歳男性、名前はわかりませんでした。仲間の話によれば2か月位前に渋谷に来て渋谷駅地下で寝ていたのですが、追い出されて駅周辺を転々としていたという。ついに死者が出てしまいました。東急によって殺されたと同じです。

19(土):警備会社との交渉→拒否
東急本社の返答を受けて警備会社に交渉を要請しましたが、警備会社は「本社がすべて窓口になる」と交渉を拒否しました。その後、まだ寝られるようになっていないので東急本社に問い合わせたところ「警備上、一回は『寝ないでください』といわざるをえないが、深追いはしない」と回答しました。

26(土):夜回り後にしぶちかに座り込み
本当に追い出しを指示していないか現地視察。共同炊事、夜回りの後に22時〜23時まで支援者を含めた約10名が東急電鉄敷地内で横になりました。警備員がとんできて「寝ないでください」と。東急本社の交渉で「掃除区域以外は、追い出しを指示していない」と返答したと私たちが説明し、警備員はしぶしぶ認めて引き返しました。

27(日):しぶちかで座り込み
22時から座り込み。また警備員が飛んできて「寝ないでください、109の側で寝てください」と私たちに言いました。土曜と同じ主旨で警備員と交渉もつと、「確かにあまり強く言わないようには言われている」と発言しました。しぶしぶ警備員は引き返しました。

28(月):しぶちかで座り込み
27日と同じく座り込み。警備員も強く言わなくなりました。

29(火):しぶちかパトロール
駅周辺をまわり、寝ている野宿者に「一回は声をかけられてしまうが、その後は寝ることもできる」と説明しました。
 
2008年2月
6(水):しぶちか早朝行動
109側で朝6時に追い出されるようになったとの連絡があり、朝5時45分から様子を見に行きました。確かに朝6時に109側で警備員が起こしに来て寝られなくなるが、その後東急電鉄側の敷地に移って朝の8時くらまでいられることがわかりました。(警備員が起こしにくるが、それを受け流す方法)結果、夜は21時30分から終電まで109側で寝ることができ、朝は5時から6時まで109側、6時から8時までは東急側と、場所の移動を余儀なくされながらも寝ることができるようになりました。109側と東急側と合わせれば、12月2日以前と同じくらいの時間身体を休めることができます。ただし、警備員の声のかけ方が突然きつくなって寝られなくな
ることや、まったく声がかからないことなど、日によって対応が変わるので安心はできない状況です。また、夜の時間帯は109側で寝ていますが、スペースが限られていて新しい仲間が入れないという問題も依然としてあります。

以上

のじれん「渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる自由連合
nojiren@jca.apc.org
「のじれん」ホームページ
http://www.jca.apc.org/nojukusha/nojiren/ (基礎資料+〜2003年5月)
http://www.geocities.jp/nojirenjp/ (最新の情報)