三流物書き志望者の日常 その9

インターネットラジオをやっていると、鎌ヶ谷市在住のタニケンがやって来る。俺、喋れないので、タニケンに喋って貰った。俺自身はちょっとピアノを弾いた。

ラジオなのに喋れないっつーのは深刻。成り立たないじゃん。書けない物書き、思考出来ない哲学者と同じ。不能だ。

ラジオ中、ネグリの京大でのイベントの司会が王寺賢太だと知り、そこから連想して伝説の一日8時間NAM労働のNAMセンター事務局長(京都在住)のことを思い出した。彼のサイトはこちら。悩んだ末、柄谷行人理論の全否定に到達したようだが、幾ら待っても彼のサイトは更新されない。空手だか拳法をやっており、そちらを優先しているのだという。俺にはその理屈がよく分からない。

伝説の人は、美術家のOがNAMを退会する原因となった私信を送った人でもあった。NAMの公的路線を実務的に遂行することを自らの課題としていた人なのである。俺は(同性愛的な意味ではなく)彼のことが好きだった。だが、彼のマルクス絶対視にはついていけないものを感じる。去年京都に滞在したおり彼に会ったのだが、俺がフリーター労組などプレカリアート運動の意義を説いても、彼は全く聞く耳を持たなかった。そういう姿勢は観念的で非実践的に見える。要するに今ある現実を変革する姿勢でないように見える。以来、俺は彼に批判的になった。彼は俺に対して無関心になった(或いは以前から無関心であった)ようだった。