プレカリアートの肖像

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リンダちゃん@あかね(オカマのせっちゃん)はこんな人!

1975年5月21日(偽称)、牡牛座と双子座の狭間に両手の拳で目一杯「おめちゃん握り」をしながら産まれ落ち、以来、不可能なものの巫女として澱んだ複数の諸世界の狭間をトランスしながら今日に至っている。2003年8月20日現在、28歳(のはずよん♪)。身長171cm、体重60kg前後(もっと痩せたい、笑)。

実家は飲み屋とカラオケ教室で、人間の穢らわしい面と詐欺的な面をつぶさに見ながら成長。両親は毎晩酔っ払っては金銭のことで醜い夫婦喧嘩を繰り返し、子ども心に「ああ人間こうなっちゃおしまいだな、男女関係って穢ないものなんだな、なんでみんな結婚なんかするのかな、わたしは大きくなっても絶対こんなことにならないから」と強く決意。手塚治虫松本零士永井豪などの漫画とアガサ・クリスティ等の推理小説に逃避して日々をやり過ごす。偏食が激しく、体育と技術・家庭科がめっちゃ苦手な子どもだった。

物心ついたときから、男性が性的に拷問されているイメージが自分を興奮させるという事実に気付く。小学生の頃、数千パターンの物語を案出。SM仕立ての小説などにするが、或る日母親がそれを発見し、実家が経営していた私立音楽教室の生徒(婦人警察官!)らに朗読するという悪夢のような出来事が勃発! 「黒人の逞しいペニスを根元からナイフで…」とかが店内で朗読され、少年せっちゃんはあたふたと自室に逃げ帰ることに。

中学校にあがり、自意識、社会性、道徳観念などが発達し、身体的にも精通などを迎えて、自分は男の子 / 女の子のどちらをイメージして自慰しているのかと悩む。また、拷問、去勢、大量殺人のイメージがサディスティックに自分に享楽を与えることに自分で怯え、このままでは将来、快楽殺人に走るのではないかと真剣に悩む。悩みに悩んで神経がおかしくなり、不登校気味に。2/3ぎりぎりの出席で限界卒業。「高校にあがったら彼氏もできて幸せになるかも」と思ったけどそんなことはなかった。高校も2年くらいから不登校気味になり限界卒業。中学の頃は好きな男の子がふたりいたけど告白できなかった。高校時代は好きな男の子がひとりいた。中学のときには、いい感じだなあ、と思っていた女の子がひとりいた。高校のときは、惚れこんでしまった女の子がひとりいた。中学のとき好きな男の子に告白できていたら、その後の人生はこんなじゃなかった━━と今でも後悔することしきり。

大学2年のとき、自分がゲイであるかどうか知りたくて、「動くゲイとレズビアンの会(OCCUR)」という運動団体に入ってみる。人間的に魅力ある人たちがたくさんいて幸福な気持ちになるが、彼氏はできなかった。ゲイ雑誌とインターネットで数名〜十数名の男性と性関係を結んだが、空しいものに過ぎなかった。終わった後もやってる最中も空しかった。それで、精神的におかしくなり始め、神経病の発作を起こして「動くゲイとレズビアンの会(OCCUR)」を衝動的に退会してしまう。退会理由はいろいろあったが、最大のものは神経の病いの悪化と性関係、恋愛関係がうまく構築できないことだった。わたしは、ゲイ・コミュニティに適応できなかった━━二丁目にもアカーにもどっちにも適応できなかったのだ。

重い神経病のなか受験勉強をして、哲学の大学院に進む。指導教授の先生が定年退職したり、自分の実力が足りなかったりで、博士課程には進めず、進学は断念。抑鬱的になり、他の大学の大学院とか専攻を変えるなどの選択肢は全く考えられなかった。自宅に引きこもって、母親と一緒に買い物と料理をしながら、老いて足腰の弱った愛犬チロチャンの看護をしながら夢の解釈と分析に没頭する日々が続いた。

2000年の後半、思想家の柄谷行人先生がNAMという運動を提唱したので参加してみた。当初は好奇心からに過ぎなかったし、寝たきりのチロチャンの看護に多大な時間を割いていたので参加があまりできなかったが、チロチャンが亡くなってからは、NAMの活動に参加してジェンダー/セクシュアリティのセクションで活動した。言えないけど意外な出会いがあったよ!

2003年の1月末日にNAMは解散した。活動仲間に紹介していただいて教育情報関連の会社でパートタイマーをしていたがそれも辞め、無職に戻った。アメリカによるイラク攻撃が迫り、神経の病いも悪化し、毎日が反戦運動の日々に突入した。収入がなく金が出て行くばかりだから当然生活は困窮。次第に、外に出るのを控えざるを得ないようになった。交通費がないからだ。

「男女という制度」に関わる或るイベントを主催した縁でだめ連のお店『あかね』の土曜店員になった。午後6時〜翌朝5時には接客してますよん! ご来店を心よりお待ちしております(笑、営業モード

日比野真さんの影響が大きいけど、わたしは今自分をMtXトランスジェンダーに近いものと考えており、男とは考えないようにしているし、ゲイかどうかも怪しいと感じている。性自認 gender identityも性的指向sexual orientationも曖昧模糊として、霧の彫刻に包まれたパヴィリオンのよう。「わたしは誰? ここは何処?」状態っていうか、見当識 orientationもありません(笑

そうそう、言い忘れたけど、世界貿易センタービルアメリカ国防総省を標的にした同時多発自爆攻撃、911の映像のショックで、精神科に通院する人、メンヘラーになりました。主にはドグマチールレキソタンを処方されてます。あと眠剤。気分の変動が余りにも激しく、自分で自分をコントロールできないこと多し。先生の診断は不安障害(不安神経症)なんだけど、境界性人格障害なんじゃないかという疑いが自分の中で消えない。今年、一方的に好きになった男の子(ちなみにヘテロ)に深夜、自殺予告電話したり、このままではまずいのではという思いを強めている。精神保健福祉法32条を申請して、来月からはもっと頻繁に通院しようかな、と思っている。

恋人友達募集!

こんな壊れ物でよければ、生物学的にであれ社会的にであれ自己定義によってであれ、男女問わず、恋人ないし友達になってください。優しい人、包容力のある人、力強い人がいいな。依存させてくれる人も歓迎。不安発作、ヒステリーを起こしたときそばにいてほしい。ああ、でも、そんな人いるのかしら…。

美少年、大好き♪ 優しい女性、素晴らしい。年上の包容力ある男性も、いいかも。とどこまでがストライクゾーンでどこからがアウトか、恋愛経験貧困なわたしには自分でも分からない、っていうかそんな贅沢いってられるの? っつーとこかしら(笑

パートナー募集!

千葉県船橋市二和東というところに住んでるけど、できればオルタナティヴなフリースペースみたいなお店がやれないかしら、と思っています。興味ある人いたら、連絡ください。どんなイメージかというと…

関東では、船橋に行くくらいならみんな新宿二丁目に行ってしまうから駄目なんだけど、セクシュアル・マイノリティの溜まり場にしたいな、ってときどき思います。関西のほうに、「カフェ玖伊屋」というのがあるらしいのですが、そういうマイノリティのミックスの実験を楽しくやりたい。それと、いわゆるメンヘル系のマイノリティとセクシュアル・マイノリティの交流や相互連携のようなものの基盤になる<場所>にもしたい。

店内はフェアトレード商品、特にアジア・アフリカ諸国の楽器で満たしたい。そして伝統的な奏法にとらわれない free music で、ノイズとも思える楽しいざわめきで、店内を満たしたい。お香も焚きたい。お茶も出したい。整体もしたい。不用品の物々交換や地域通貨市もしたい。何もかもがしたい。

リアカーを買って、「ヘンタイ協同組合」「nutty queer free space」と看板を出して、わたしと仲間が昔出した漫画雑誌や古本、或いは非電化製品やフェアトレード製品などを満杯に乗せて、地域と徘徊、彷徨したい。さ迷えるヘンタイ。移動するヘンタイ。ヴィジョンはあります。行動に移すには、でも独りではできないんです。

わたしは、schizo-analyste 或いは schizo-analyseur になりたい。精神分析家でもあれば<触媒>でもあるような、運動と運動を化学反応で融けあわせるような、そういう存在になりたい。そういう存在として、<開業>したい。そこでは、本来的な<学び>の場が生起するはずです。生きることを、或いは死ぬことを学ぶこと。性を学ぶこと。実際に泳ぎながら泳ぎを学ぶこと。こうするんだよ、っていいながら子どもたちや<自己定義>による子どもたちと楽しく遊び、学び、そして単に生きること。

ヘンタイとして楽しく生きている東京のわたしと、地域の不審者として冷ややかに見られている船橋のわたしとには、分裂があるんです。その分裂を、どうにかして揚棄したい、解消したい。ひとりの同じわたしとして、ヘンタイな生/性を、自分が生きているこの実家で、この地域で肯定したい。

語っても語っても語り尽くせないけれど、これが、もう何年も何年も、わたしの夢であり続けていることです。

http://sapporo.cool.ne.jp/hommelets/tadashi.html

1975年、大分県別府市に生まれる。
幼い頃から津軽三味線やジャズピアノに親しみ、県内の老人ホーム等を精力的に慰問に回る。
1988年、千葉県船橋市に移住。
船橋市立七林中学校、千葉県立津田沼高等学校では、生徒会役員などを歴任。
1994年、早稲田大学第一文学部哲学科に入学、西洋哲学史を学ぶ。専攻はドゥルーズの『差異と反復』。
大学在学中、動くゲイとレズビアンの会(OCCUR)に入会し同性愛者の権利獲得の市民運動に携わるが、2年余で挫折。
アカーでは、キース・ヴィンセント、風間孝、河口和也などとアイデンティティ研究会に所属、クィア理論などを学び、海外の文献の下訳を担当する。
1998年、早稲田大学大学院文学研究科・修士課程に入学。富永厚先生に師事し、サルトルメルロ=ポンティなどフランス哲学を学ぶ。
2000年、早稲田大学大学院文学研究科・修士課程を修了。博士課程への進学を志すが果たせず、在野での研究継続を決意する。
同年、柄谷行人らが始めた社会運動NAMに参加。地域系東京の副代表、関心系ジェンダー/セクシュアリティの連絡責任者、副事務局長などを歴任。
2002-2003年、Q-NAM紛争に加担し、地域通貨Qの代表団などに誹謗中傷を繰り返す。
2005年以降、Q-NAM問題へのコミットメントを自己批判。『重力03』に掲載予定の総括論文執筆を続ける。(最終的に不掲載になる。)

2006年現在、芸音音楽アカデミー代表、交流イベントスペースあかね水曜当番、フリーター全般労働組合執行委員、Queers Association主宰。

土曜日発行のメルマガから。

グッドウィル説明会に行きます。

予約を取りました。12/24(月・祝)9:30、北習志野にて。金を稼ぐ方法がこれしか思いつかなかったのです。しかしそれにしても、ぼくは阿呆というか音楽馬鹿というか、気違いというか、自分でも呆れ母にも呆れられていますが、生活苦でも病苦でもなく、CDの買い過ぎ:-)で日雇い派遣に精出さねばならなくなったというのは、自分でも笑えます。それほどにCD買うなんてどうかしてるのではないかと。だけど、少しも後悔はないのです。ジャズのためなら死ねる(笑)と開き直っていますから、こうした事態になっても堂々と自分で自分を肯定しています。

グッドウィル、採用になったら、グッドウィル日記を毎日書きたいです。そして、お金に余裕が出来たら(笑)、グッドウィルユニオンにも入りたい。しかし、何より先ず、採用されることが第一です。ぼくは、普通免許も持っていなければ英語の資格もなく、Excelの使い方もまるで分からないという無知無能ぶりです。ぼくに出来る仕事は限られているでしょう。倉庫での軽作業くらいかな? 危険な作業は避けようと思っているので(労災遭いたくないし:-))、あまり選択の幅はないかなと思っています。

日雇い派遣にもし行くことになるとしても、芸音での仕事やあかね、さらにはネットラジオも継続したいと思っています。自分にとってそれら音楽の仕事や交流は、生きる糧なのです。