ゴンちゃんへの応答

ゴンちゃん、応答どうもありがとう。
哲学中華主義といわれればそうかもしれないね。
ぼくは哲学しか知らないからね。

ぼくが言いたかったのは、哲学的にいうならば社会構成(構築)主義もサルトル経由のヘーゲルの延長線上、或いはそれの自己否定としてあるということです。
人間を語る存在として規定し、パフォーマンスにおいて行為遂行的にアイデンティティを構成していくのだとすれば、それは同じく語る存在としてある他者らとの弁証法的=対話的関係の中においてでしかあり得ません。

実存主義構造主義の論争は、人間が至高の自由を持って自己決定・選択できる存在ではなく、何らかの構造を背景に行為できる存在者だということにあるでしょうが、ポスト構造主義的なパフォーマティヴの議論、つまり社会構成(構築)主義は、構造そのものが行為者の表現行為(パフォーマンス)によって組み替えられる可能性を示唆していると思います。