強制異性愛・性愛強制社会を考える

昨日、亀有に行って講演してきた。質疑応答の時間、執拗に訊かれて困惑したのが、「どうして今の若い人達は同棲したり、カップルになったり、結婚したり、子どもを作らないのか」ということ。そんなの、異性との恋愛→結婚→出産・子育てが人生のアタリマエな標準じゃないっつーことに多くの人が気付いたってだけだし、仮に結婚・子育てしたいと思っても、現在のプレカリアート状況では現実的にいって無理だからに決まってるじゃん? そんな異性愛主義や性愛強制を押し付けられても困るよ? 一応金貰って喋ってるんで、怒りはしませんでしたが、不快ではあった。貴方の「自明」は私の自明とは違うんです。前提が違うの。それを分かってよ?*1

そういえば、矢部史郎さんが、プロレタリアートっつーのはもともと「繁殖し過ぎて困るもの」みたいな意味で使われてた、みたいな話をしてたことがあったと思うが、じゃあプレカリアートのほうは「繁殖を拒むので困るもの」かなぁ、とふと思ったり。私が話したのは、奴隷制があった時期、奴隷として連れて来られたアフリカ人達が鬱病になる、自分の子どもを奴隷にするのは考えられないので子どもを作らない、自殺するなどして激減、絶滅していったという歴史的事実(ダグラス・ラミス『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのか』、ドゥルーズ=ガタリ千のプラトー』)。「労働」を強制されるくらいなら、死んだほうがましだし、子どもも作らない、っつー倫理っていうか抵抗が歴史上あったんだ、ってこと。

経済成長がなければ私たちは (平凡社ライブラリー)

経済成長がなければ私たちは (平凡社ライブラリー)

千のプラトー―資本主義と分裂症

千のプラトー―資本主義と分裂症

われわれの抵抗は、静かなサボタージュニートだってそうだし、そういう新たな抵抗形態が表現され噴出している。問題は、その中で、単に生き延びるということだと思う。死が結論、ではつまらない。

*1:っつーか俺、詳細な原稿送ってるし、クィアだってカミングアウトしてるじゃん? なのになんで、俺に結婚がどうのって話を延々とするわけ? その時点で無神経だよ! それに今の若者全般がどうの、って話を振られても、俺が今の若者全般を代表したり代弁できるわけもないでしょ。そんな討議に何の意味があるの? よく考えてもらいたい。