こころ系の時代 激増する精神医療ユーザーの抱える問題

私は911同時自爆事件以降精神科に通院する患者であり、山本眞理らがやっている全国「精神病」者集団のメンバーでもある。診断は「不安障害」と言われている。不安神経症のことである。最初高根台メンタルクリニックに通っていたが、1年程前から爽風会佐々木病院に転院し、認知療法を専門とし、パキシルを主に処方するH医師が主治医になっている。

どうして精神科に通うようになったのか。記憶する限り、私は思春期の頃からどこかおかしかった。高校生の頃、習いに行っていたピアノの先生に、「攝津君は様子がおかしいので精神科に罹ったほうがいいのではないか」と言われたことを覚えている。実際、一度罹ったのだが、その後行かなくなってしまった。大学、大学院でもいろいろメンタルな問題を抱えながらやっていたが、精神科の門をくぐるまでには至らなかった。

私が精神科に罹らざるを得なくなったのは、明らかに911の影響、そして当時関わっていたNAMという運動との関係でである。当時私は、パートタイマーとしてさいたまにある会社進学データシステムに勤務していたが、社長の奥さんが私の様子が明らかにおかしいからと会社近くの精神科に私を連れて行ったのだが、どういうわけか診て貰えず、自宅近くの高根台メンタルクリニックに罹ったというわけである。当時の症状は、激烈な不安・抑鬱・罪責感だった。「××さんに申し訳ない」というような激しい感情に襲われ、当の××さんに連絡を取ってみると「申し訳ないようなことは何もしていない」と驚かれる、ということの繰り返しだった。私は、超自我との関係で病んでいたのだと思う。私に眼差しを向けてくれるはずの高いところにいる他者との関係で、不安に陥り、精神的に混乱していたのだと思う。

急性の不安発作はじきに治まったが、以降、強い抑鬱希死念慮に悩まされた。自分が価値がない人間で、生きていても何も良いことはなく、死んだほうがましだという想念に捉われていた。薬を飲んだり、精神科医と話したりしても、これはまるでよくならなかった。しかし、それも最近は改善の兆しが見えてきたのは、明らかに明光義塾でやっていたバイトを辞めたこと、及び音楽活動を再開したことの影響が大きい。明光義塾での事務員としての仕事は、私にはストレスフルで屈辱的なものだった。或る程度のお金にはなったが、その代わり、自分の無用性・無能性を日々感じなければならず、とても辛かった。

ここで私個人のことを少し離れ、大状況を語ってみたいと思う。1990-2000年代以降、精神科に通う人達の数は爆発的に増えてきている。このことは何を意味するのか。先ず第一に、精神科の敷居が低くなって、それまでなら受診しなかったような層の人達が受診するようになった、ということが挙げられる。第二に、その「精神病」の軽症化ということが挙げられる。古典的なヒステリーや統合失調症、大うつ病などは少なくなり、ぷちうつ、仮面うつ、或いは境界性人格障害などが増えてきている。この軽症化は、必ずしも良いことばかりではない。統合失調症でなくても、統合より難治の人格障害なり神経症は幾らでもある。患者=受苦者本人の苦しみは、「軽症化」とはいっても、やはり大きなものだろう。それから第三に、社会的構造としての経済的問題、端的にいえば貧困が挙げられる。自殺者が3万人を超える事態が続いているが、そのうちの一定の割合の人達が、遺書で経済問題を理由に挙げている。自殺までいかなくても、リストラや労働強化などが原因で精神疾患に罹患するといったことはよくあることである。これは本質的には、ベーシック・インカム基本所得)なりで生活が保障されないと解決しない問題だと思う。

「メンヘラー」という用語は2ちゃんねる用語だからといって嫌う人がいるので、こうした「新しい「精神病」者(神経症者)」達のことを、あかね=だめ連界隈での言葉、「こころ系」の人達と呼ぼうと思う。重篤な精神病でないからといって、「こころ系」の人達の苦しみというのは主観的には大変なものであり、なかなか簡単に解決するものではない。実際、私も早稲田のフリースペースあかねに継続的に関わっているが、精神病者の方が救いを求めていらっしゃるが、「どうにもならない」ケースというのも経験してきた。この問題は本当にシビアなのである。が、問題があるということを直視し、それに地道に取り組むことが必要なのだと思う。