闘争

私はここで示されているかぎりのフーコーの意見に同意しかねる。かつての階級闘争とは言わないが、この社会に特定の少数の富裕層/支配層/権力者らが存在していることは紛れもない事実であり、彼・彼女らの世界支配に抗して闘う必要があると思っている。

同性愛と生存の美学

同性愛と生存の美学

──J-A・M 要するに、君にとっては対立し合う主体とは誰なんですか?

これは仮説にすぎないけれど、万人に対して万人だ、と言っておきます。即座に与えられた形で、一方がプロレタリアートであり、他方がブルジョアジーであるような主体は存在しない。誰が誰に対して闘っているのか? われわれは、すべてがすべてに対して闘っている。そして、われわれの内で、常に何かがわれわれの内の別の何かに対して闘っているんです。

──J-A・M ということは、一時的な同盟しか存在しなくて、その同盟のうちの一部はすぐに崩壊してしまい、他のものは持続するということですね。しかし、最終的には、最初で最後の要素、それは個人なんですか?

そう、個人なんです。そして、部分個人(sous-individus)でさえある。

──J-A・M 部分個人?

いけないですか?