闘争
私はここで示されているかぎりのフーコーの意見に同意しかねる。かつての階級闘争とは言わないが、この社会に特定の少数の富裕層/支配層/権力者らが存在していることは紛れもない事実であり、彼・彼女らの世界支配に抗して闘う必要があると思っている。
- 作者: ミシェルフーコー,増田一夫
- 出版社/メーカー: 哲学書房
- 発売日: 1987/05
- メディア: 単行本
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──J-A・M 要するに、君にとっては対立し合う主体とは誰なんですか?
これは仮説にすぎないけれど、万人に対して万人だ、と言っておきます。即座に与えられた形で、一方がプロレタリアートであり、他方がブルジョアジーであるような主体は存在しない。誰が誰に対して闘っているのか? われわれは、すべてがすべてに対して闘っている。そして、われわれの内で、常に何かがわれわれの内の別の何かに対して闘っているんです。
──J-A・M ということは、一時的な同盟しか存在しなくて、その同盟のうちの一部はすぐに崩壊してしまい、他のものは持続するということですね。しかし、最終的には、最初で最後の要素、それは個人なんですか?
そう、個人なんです。そして、部分個人(sous-individus)でさえある。
──J-A・M 部分個人?
いけないですか?