みんなの意見は、案外正しい。

カントの『判断力批判』以来、複数の主観がくだす美的判断の一致が何によって保証されるのか、いわば批評というものの根拠が問題にされてきた。感動といった美的体験は私的・個人的なものかもしれないが、その体験を言葉にし他者と共有しようとする瞬間からその営みは公共的なものになるからだ。共約しえない異質な者同士の奇蹟的な一致、という出来事性を考えることこそ、批評の基礎を問うことである。音楽を批評するとは、どういうことだろう? ジャズを語るとは? そういったことを考え込んでしまう。