「自称」ジャーナリスト志願顛末記

「自称」ジャーナリスト志願とは、プレカリを極めた感じだが、本心なのだから仕方ない。ジャーナリスト志願というのには理由もあって、哲学というものの現代で取り得る一形態としてジャーナリズムがあるのではないか、という考えもある。また、生き生きとした事実に触れ、現実を変革したい、という希望もある。「客観」報道ではなく、「偏向」しまくった乱立する複数の光源(ディドロ研究者田口卓臣の示唆による)になることを志向する。

携帯もデジカメも、録音機材も買った。IT化を極めている感じだが、それを少しでも良い記事を書くのに繋げたい。言葉による表現には或る程度慣れているけれど、画像・動画などの表現には素人だから、今後が心配でもある。でも、まあ、なるようになれ(笑)。ベストを尽くすのみ。