爽風会佐々木病院に通院

爽風会佐々木病院に通院。半田医師の診察を受ける。三十分間程。以前の病院では五分程度だったから、改善ではある。

まず、「眠たい」という話から。一日中寝てしまうのをどうすればいいか、ということから話し始める。

死にたい気持ちのことや、それをどうやって凌いでいけばいいのかといった話もする。

しかし、会話の大部分は、忘れてしまった。勿体ないので、次回から、録音しておこうかと思う。

日記をつけることも勧められた。日記はこれまでもつけているが、改めてつけてみた。

2006/5/12【生死】
認知療法については、『いやな気分よ、さようなら』を読むなど一定認識はしている。しかし、私自身の「認知の歪み」については、それを正すのが極めて難しいように感じている。幸福で支持的な家族環境、支えてくれる仲間(友人・知人)達、何一つ不自由のない生活、どれをとっても贅沢そのものである。それならば何故苦しいのか。何故死にたいのか。自分でもよく分からない。

超自我的人物への転移と依存】
その時期その時期に応じて、超自我的な位置を占めると思われる人物への転移と依存を繰り返す傾向がある。「尊敬」ないし「信頼」の対象である、高い位置にいる人物達。自分個人で自立した判断が出来ない。この傾向は長い間続いている。(十年以上前から?)

【人生設計の狂い】
大学院時代に、決定的な変化があり、自分の人生自体が駄目になってしまった、と感じている。それは語学が出来ず留学出来なかった、また博士課程に進学出来なかったことであり、それにも関わらず実社会・一般社会では生きていくのが難しいと感じていた。

大学時代から、資本制企業で働くのは厭だと感じていた。NGO等に就職しようとしたこともあったが、その努力は無駄に終わった。私は大学院に入り、そこで一生を終えようと思っていた。しかるに、途中で放り出される羽目に陥った。そしてどうしていいか分からなくなり、ニート状態になった。

その後アルバイトを始めながら携わった社会運動NAMは、協同組合と地域通貨を広めることで資本と国家に対抗しようというもので、私はその理念に賛同し参加したが、実際には協同組合を立ち上げる等の具体的成果を生み出すことは出来なかった。

内紛の果てにNAMが解散した後私は無職に戻った。反戦運動等をしながら一年程を過ごしていたが、大きな不安発作を起こし、ハローワークに通って個別指導塾の事務職のアルバイトの仕事を得た。1年半ほどそこで働くが、リストラされてしまった。就職活動もしてみたが、うまくいかなかった。現在は自宅店舗で開業しようとしながら、体調不良のため店番すら出来ないという状況で、行き詰まっている。

私は一方でもう自分の人生が「終わった」もののように捉えている。物心両面で親に完全に依存した生活、高齢の両親、といった諸条件を考え合わせると自分には未来は無いと思えてくる。他方で、労働者協同組合(ワーカーズ・コープ)を立ち上げたいとの希望も未だ抱いており、曖昧である。

社会不安障害? 境界例?】
医師に手渡された文書には社会不安障害に関するサイト(http://www.sad-net.jp/)が紹介されており、認知行動療法を採用するらしいことが記されていた。認知行動療法が有効らしいことは聞いているので、歓迎である。ただ、幾つか気になる点がある。

前の病院(高根台メンタルクリニック)で「不安障害」と診断された私だが、今や本当に「不安障害」なのか? という疑問がある。むしろ境界例http://homepage1.nifty.com/eggs/)に当て嵌まるのではないかという気が(素人診断ながら)している。実際の自殺企図等は無いものの、現在の「主訴」は強い自殺願望及び肩と胸の執拗な痛みである。また「見捨てられ不安」も強い。未分離な親子関係の病理など、境界例に当て嵌まると思われる傾向もある。

診断が「社会不安障害」であれ「境界例」であれ、権威ある人物、ないしは超自我的位置にあると思われる人物への転移と依存という病理的傾向が明らかにあると思う。常に誰かの眼差しを気にして、その眼差しの前で振る舞わなければならないと感じている。そこに不安や緊張も生じてくる。

社会不安障害? 境界例?】
医師に手渡された文書には社会不安障害に関するサイト(http://www.sad-net.jp/)が紹介されており、認知行動療法を採用するらしいことが記されていた。認知行動療法が有効らしいことは聞いているので、歓迎である。ただ、幾つか気になる点がある。

前の病院(高根台メンタルクリニック)で「不安障害」と診断された私だが、今や本当に「不安障害」なのか? という疑問がある。むしろ境界例http://homepage1.nifty.com/eggs/)に当て嵌まるのではないかという気が(素人診断ながら)している。実際の自殺企図等は無いものの、現在の「主訴」は強い自殺願望及び肩と胸の執拗な痛みである。また「見捨てられ不安」も強い。未分離な親子関係の病理など、境界例に当て嵌まると思われる傾向もある。

診断が「社会不安障害」であれ「境界例」であれ、権威ある人物、ないしは超自我的位置にあると思われる人物への転移と依存という病理的傾向が明らかにあると思う。常に誰かの眼差しを気にして、その眼差しの前で振る舞わなければならないと感じている。そこに不安や緊張も生じてくる。

【取り返しのつかない喪失感】
かつて学んだ哲学・文学や音楽にしろ、その技術を忘れてしまっている。それは取り返しのつかないことだと感じている。哲学の知識や語学の技術、演奏技術など、多くを忘れてしまった。それは自分が壊れてしまった、という感覚に繋がっている。