イモケン〜オアシス〜ちばNPOユースフォーラム

水曜、あかね当番の後、イモケンへ。翌日、目が醒めると午後1時を過ぎていた。蛭田さんと蛭田さんのアパートに住む村上さんと一緒に食事。私は、協同組合関連の会合に行きたくて、食事をしてからすぐに出たかったのだが、蛭田さんに呼び止められて結局夜の9時過ぎまでお話しを伺うことに。主題は、私が書いた「イモケン学派の問い」という文章(興味がある方は「夢目記」を読んでほしい)。蛭田さんと村上さんは、私の文章にデッチアゲや捏造が含まれている(「イモケン学派」という名称そのものがデッチアゲだというのだ)、検索で不特定多数の人が見るからお店(カフェダス)も生産者や消費者が離れていくなど風評被害も被っている、と言う。それで、私は、事実誤認として認めざるを得ない部分については修正することにした。

Q-NAMの一連の問題についても意見交換するが、議論は平行線。私はNAMが自己批判し責任を取らねばならないと主張するが、それは蛭田さんには受け入れていただけない。私怨だというのだ。私は自分の怒りが公憤だと言い募るつもりはないので、いいのだが、どうしようもない無力感・虚しさに襲われる。蛭田さんは長時間、生活技術や自然療法、年寄りの知恵を取り戻すことなどについて話し続けるが、私にはどうしてもそれに興味が持てない。NAM・Q以後の情勢における「転向」の一形態にしか見えないのだ。私はそんな「転向」を拒否し、観念的・主観的であろうと断固として左翼的な闘争・運動を続けていきたいと思った。

帰宅後、蛭田さんから電話が掛かってきて、朝の5時まで電話。蛭田さんに悪意がなく、人間的な感情からの言動であることはよく分かった。しかし、私としては、10時間近く、或いはそれ以上も「説得」されたことは、正直言って納得が出来なかった。蛭田さんは私のことを思ってそうしたのだというが、それはパターナリズムではないか。蛭田さんは私の父親的存在であることを自負し、私の母親からもそれを要請され、実際そう振る舞っている。そこには確かに「愛」もあるだろう。しかしその「愛」が、どうしようもない拘束に転化する側面もあるのではないか。私は蛭田さんのお話しを伺いながら、もっと徹底的に反抗・反逆するぞという思いを募らせるばかりだった。私は蜂起するのだ。たとえ解放が約束されないとしても、端的に立ち上がり、声をあげるのだ。例えば、蛭田さんは、「基本的な生活」が出来ているか否か、ということ、「具体的なこと」をやっているか否か、ということを重視し、それで人を選別し排除したりする。しかし私は、「基本的な生活」なる規則正しさをアナーキーに無視し、「具体的なこと」ではなく観念的なことに没頭するような「変人」・ヘンタイのアソシエーションを作りたいのだ。それはママゴトめいた動機に基く遊びかもしれないが、それを遊びと言われるなら私は死ぬまで遊び続けたい。早死にしても構わないから、生活規則だの生活習慣だのといったものに反逆し、抵抗し、自らの生・性・身体を自己決定し、消費していきたい。

金曜日、起きたら2時近かった。地域生活支援センター・オアシスに面談に遅れると連絡し、慌てて食事をして出掛ける。途中、郵便局に寄りハチドリ計画サポーターのお金5,000円を振り込む。

地域生活支援センター・オアシスの相談員米村さんに、私がバイトをクビになったこと、当初月収20万円以上の正社員を目指したがたて続けに面接で落ち断念したこと、正社員の苛酷な労働には耐えられないだろうと感じていること、自宅店舗でフリースペースを開こうとしていること、などをお話しした。米村さんは、親切に話に耳を傾けてくださり、いろいろと助言をしてくださる。どんな人が来るか分からないから、一定のルールを設けておくべきであるとか、家族会と連絡してみたらどうか、とか。ありがたい。私はずっと不安を訴える。何もかも上手くいかないような気がする、とか、就労も開業も無理なのではないか、とか。最近、自分が狼少年というか、これだけ騒ぎまくっておいて、結局フリースペースを開けないのではないか、という恐れが強い。

面談の後、フリースペースで6時まで時間を潰し、船橋駅前の「フェイス」ビルへ。ちばNPOユースフォーラムの会合があるのだ。「ワカモノ四面楚歌」という来週の火曜日のイベントの準備。『フリーターにとって「自由」とは何か』の著者・杉田俊介さんもいらっしゃる。討議は、盛り上がったとは言えないが、まあ満足すべきだろう。フリーター・ニート「問題」を結局どうしたいのか、という点が見えてこないのが、不満なところ。PAFFでもテロリストは誰?九条の会でもアソシエーショニストの広場でも、「フリーター・ニート「問題」」を取り上げているが、理論的・実践的にどうすればいいのか、ということはなかなか見えてこないのが実情。

10時過ぎに帰宅し、メール等をチェック、蛭田さんと電話し、話し合い、『重力』編集会議にメールを送る。