休日も今日で最後──本の整理をきっかけに自分の過去を振り返る

mixiで日記を書いた。以下にそれを転載する。

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気分が良いわけではないが、重い希死念慮等は収まってきた模様。その代わり、一日中ろくなことができない。公務員試験の勉強も1分も進まなかった。これは諦めたほうがいいのかもしれないと思う。
今日は家で、子どもの頃買った本の整理をしていた。倉庫にあったものを、事務所まで持ち出したのだ。事務所は雨漏りがするとのことで、本の詰まった重いダンボール箱を移動したり、窓のところをガムテープで塞いだりする。仕事から帰ってきた69歳の父親(義父)も手伝ってくれる。

読みたい漫画は出てこない。十代の頃読んだ萩尾望都大島弓子竹宮恵子などがないのだ。古本屋「ばけものや」を開いていた頃(大学か大学院の頃か? もう子どもの頃読んだ本を読み返すことはないだろうと、一時古本屋を開いていたのである)、売ってしまったのだろうか。文庫で買い戻すことも考えるが、自宅にはもう本を置くスペースがない。こういうとき、公共図書館で漫画を扱ってくれたらどんなに良いだろうかと思う。漫画喫茶という手もあるが、一回『20世紀少年』を読みに入った感じで言うと、落ち着いて読書できない。本を地域通貨で融通し合うシステム(マイミクの関本さんが提唱していたハムレッツのような:http://www.ccsp.jp/hamlets/)があれば便利だと思う。レインボーリングhttp://www.rainbow-ring.net/)やmeta(http://www.ccsp.jp/meta/)で打診してみることを考える。
とはいえ、『パタリロ!』が30冊程出てきたのは収穫であり、目出度い。私は一時は『パタリロ!』を全巻揃えており、暗記するくらい読み返していた。ギャグや駄洒落の一々を覚え、反復していたものである。とはいえ、歳月とともに、それも忘れてきた。そこで再び『パタリロ!』を読み返したく思ったのである。

子どもの頃熱心なミステリーファン、SFファンだったことも思い出した。お気に入りはアガサ・クリスティ。今ではほとんど忘れてしまったが、ポアロが登場する後期の記憶が主題の長編群など、とても面白く読んだ記憶がある。小学生の頃読んで面白かったのは、アン・ライスの『夜明けのヴァンパイア』(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/415040464X/qid=1115294271/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-2873129-4813921)と山田正紀の『宝石泥棒』(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150302200/qid=1115294201/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-2873129-4813921)。ほかに平井和正http://www.wolfguy.com/)の狼男シリーズなどがお気に入りであった。
中学2年のとき、最初の精神的な発作を起こし、半・不登校になり、それとともに吉本隆明http://shomon.net/)の著作に傾倒、『空虚としての主題』『悲劇の解読』等を読み耽り、吉本が『マス・イメージ論』で称揚していた高橋源一郎http://www.funk.ne.jp/~gen1rou/index.html/)、島田雅彦http://www.bungaku.net/higan/)に触れ、純文学(?!)を読み始める。それと同時にミステリーやSFは読めなくなっていった。
最初に『アンチ・オイディプス』(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309240828/249-2873129-4813921)と豊崎光一訳の『リゾーム』(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4255870195/qid=1115294696/sr=1-1/ref=sr_1_8_1/249-2873129-4813921)に接したのも、高校生のとき。同級生から、「飛ぶ肛門、高速の膣。」という文がいやらしいとからかわれたのも覚えている。(そういえば中学の頃、同級生に平井和正の狼男シリーズを勧めたときも、いやらしいと言われたことがある。暴力描写や性描写が多かったからである。拷問のシーンなど。)今から思えばどれくらい理解していたか怪しいが、夢中になって近所の船橋市北図書館(http://www.lib.city.funabashi.chiba.jp/)に通った覚えがある。
大学生のときは、早稲田の文学研究会(http://mixi.jp/view_community.pl?id=79212)と芸術ウピョピョン会「狼」(会誌を3冊発行。私が描いた部分の一部はhttp://page.freett.com/philo/index.htmにある)に所属。『重層的な非決定へ』などの吉本隆明をとるべきか、『探究』『近代日本文学の起源』『批評とポスト・モダン』の柄谷行人http://www.kojinkaratani.com/)をとるべきかで悩む。読書会で柄谷の本などを読んだが、難しく感じた。自分として今でも一番興味ぶかく気に入っているのは、『畏怖する人間』など漱石論、『意味という病』のマクベス論など、最初期の著作。『形式化の諸問題』などゲーデル以降は、正直いって理解していない。ウィトゲンシュタインクリプキを援用しての『探究』における「他者」概念にもずっと疑問を抱いていた。フロイト解釈・カント解釈にも疑問。
大学院生になってからは、凡庸なドゥルージアンとして、ベルクソンに依拠した中途半端で詐欺師(『差異と反復』の名訳者・財津理から私は面と向かって「詐欺師」といわれたことがある。論文の口頭試問のときだ)的な修士論文を書いた(http://groups.msn.com/27645/page23.msnw)。修士は2年で終えたが、指導教官が退官し、それとともに私の博士課程進学の夢も潰えた。大学院に入ったときは、一生「入院」して過ごすつもりだっただけに、ショックでひきこもりになってしまった。
NAM(http://www.freeassociations.org/ http://mixi.jp/view_community.pl?id=17417)と出会ったのは人生に行き詰まっていたこの時期だった。図書館でたまたま手にした文芸誌にNAMについての柄谷行人の講演が載っており、私は帰宅して冗談半分に「NAM」で検索したら実際のNAMのホームページ(当時、乾口達司さん(http://www3.kcn.ne.jp/~inut/index.htm)等が作成していた)がヒットし、その場で入会を決める。この当時のことについては、日記に詳しく書いた(http://www.fastwave.gr.jp/diarysrv/realitas/200009b.html#20000918)。私は躁状態だった。とはいえ、最初の会合に出てみて、自分には無理と諦め掛けたのだが、NAMを続けるつもりになったのは、NAM東京の中心メンバーだった朽木水さん(http://park5.wakwak.com/~chomsky/)と出会ったからだった。私は柄谷の理論を信じていいか迷っていた。朽木さんを人間的に信頼できると感じたから、NAMを続けた。朽木さんとの出会いがなければ、NAMに賭けることもなく、ゆえに今の私もなかったことだろう(良かれ悪しかれ)。

長い日記になってしまったが、過去のことを少し思い出して感傷的になってしまったようである。今の私はただのメンヘラーに過ぎない。過去は、過去である。