破壊せよ、破壊せよ。━━このけがらわしいものを踏みくだけ!━━

1.

2003年8月27日に「NAM資産管理委員会の定款への異議申し立て」を、2003年8月30日に「【転送・転載歓迎】破壊せよ、破壊せよ。━━このけがらわしいものを踏みくだけ!━━」を、2003年9月1日に「【転送・転載歓迎】NAM 資産管理委員会への7項目要求」を、2003年9月2日に「NAM 資産管理委員会の定款の疑問点・問題点の列挙」を知る限りの全てのNAM会員に送った。2003年8月28日には、「NAM資産管理委員会の定款を考える会」の掲示板を設置し、2003年8月31日には2ちゃんねるの哲学板に「このけがらわしいものを踏みくだけ!」スレッドを立てた。

大方の反応は無視であり、私が精神的に不安定な状態に陥っていることを心配する電話やメールが幾人かの方からあった。いうまでもなく精神的に不安定なのは事実だが、そのことと要求内容の正当性は無関係である。何人かの方は「何故、今この時期に唐突に問題提起し始めたのか?」と疑問を呈した。もちろん今問題提起したのには理由がある。

2002年8月29日(木)、一連のNAMとQの紛争の発端となった「Q-hive京都オフ会議」が催された。私は2003年の8月末に、この終わりの始まりの出来事からの一周年記念日が来たことを強く意識していた。「区切り」を付けたいという気持ちが強くあった。京都オフ会議以降半年続いた一連の出来事の記憶の連鎖は悪夢のように今も私にとり憑いて離れず、私を拘束している。その拘束をふり解き、自由になるためには、戦争を仕掛けるしかないと思った。多くの人たちがあたかも何事も無かったかのように振る舞おうとしていることへの憤懣もあった。NAM解散当初から、NAM資産管理委員会(基本的に旧代表団)に定款の問題点について直接指摘していたのに、半年以上無視・放置され何らの反応も無かったことへの不信感もあり、且つ、FA(Free Associations)のサイトがNAM解散から半年以上が経過した現在もほとんど内容がない━━全く動いていないと思われるうえ、どのような規約と運営体制をもつのかも不明であることへの疑惑もあった。さらに、公表できないが、背中を押すような決定的なきっかけもあった。

私は或るQ監査委員が2002年12月26日付でQユーザーMLに投稿した、「情報公開が意味するものについて――Qは二度死ななければならない――」という題名のメールで述べられていたことに全面的に賛成する。

或る理想を目指した運動が失敗に終わることはザラにあります。しかし、真に
理念を持ち続ける勇気があるならば、死ぬことを恐れる理由はありません。そ
こから再び、次の運動に挑戦すればいいからです。
ただし、そのためには、その運動は二度死ななければなりません。
一度目は、自らの未熟さと至らなさで事実として死んでしまったことであり、
二度目は、その死んだ事実を事実として認識し、そのような死をもたらした原
因を可能限り徹底して認識することです。つまり、死に至る過程を再度、追体
験することです。さもなければ、ただの屍に、依然、自分たちの理想を押し付
けて、屍と共に幻想の中を虚しく生きるだけだからです。

私はこの意味で、NAMも二度、いや無限回死ななければならないと考える。死なくしてNAMの代表団が解散時の声明で謳っていた「運動の真の再生」もあり得ないからである。事実、運動は全く再生していない。『FA宣言』によればFAには団体だけが参加可能とのことだったが、FAに参加を希望しているような団体は現在のところ一つもない。NAMから生まれたプロジェクトの大多数は静かに終焉を迎え、事実上の活動停止(解散)に至っている。たとえばWar Boycott Networkは解散(活動停止)を決定し、ホームページも放棄した。私は、「その死んだ事実を事実として認識し、そのような死をもたらした原因を可能限り徹底して認識」してみたいと思う。「死に至る過程を再度、追体験」してみたいと。そのような過程は、 想起 ないし 徹底作業 と呼ばれるべきものである。

2.

2002年10月20日 (日) 、NAM元代表柄谷行人氏は「柄谷行人の提案」(新たな市民通貨を提唱する)をNAM全会員が読めるnam-event MLに投稿した。さらに柄谷前代表及び編集局は、web編集局長の権限で、「柄谷行人の提案」とほぼ同内容のエッセイ『Qは終わった』をNAMホームページのForumの欄に掲載した。これに対して、民主主義的な手続きの面から問題があると指摘する人たちが出て、大混乱になり、『Qは終わった』は一旦削除され、後日『Qは始まらなかった』として再び掲載されることになった。後者がいうとおり、

しかし、私のエッセイは激烈であり、NAMの中ではほんの一部でしか討議されていない問題を突然に論じたものであるため、Qの活動を熱心にやってきた一部のNAMの事務局員あるいは評議会員らをパニックに陥れた。

2002年10月21日、当時のNAMの副代表の一人が評議会に投稿したメールで、次のように述べている。

今回、問題となっているHP掲載という手続に関して、
私としては、今のままでは、途方もない混乱と不信を、NAM内外にもたらしかね
ないと懸念しています。

実際、「途方もない混乱と不信」が「NAM内外」(少なくともNAMおよびQの周辺)にもたらされたのだ。

図式的にいえば、事務局員・評議委員らNAMメンバーは、『Qは終わった』web掲載問題での紛糾以降、基本的に3つのグループに分裂した。事務局員らは『Qは終わった』が既に脱稿しており、柄谷行人氏のメールの下書きフォルダに既に装填されているという情報を比較的早い段階(実際の発表の数週間前)で把握していたので、『Qは終わった』の発射を阻止するか、それができない場合は予想される大混乱を最小限に抑えようとして、必死だった。そのなかで、どれが最上の対応かを巡って、意見が割れたのである。

  1. 「抜本的NAM」派或いは「市民通貨」派━━当時の事務局長及びもう一人の副代表を筆頭に、柄谷行人氏の提案に全面的に賛同し、ついていこうという人たち。
  2. 「原理的NAM」派或いは「原理との契約」派━━先ほどのメールの副代表及び元事務局長を筆頭に、柄谷行人氏個人との関係よりも、NAMの原理との主体的な「契約」を重んじようとしていた人たち。
  3. 「自立的Q」派或いは「自立した個人」派━━京都オフ会議に参加しなかったQ-hiveメンバー、及び京都オフ会議に参加していた人でもNAMを退会した人を中心に、「柄谷ファン」を切り捨てて自立した個人らでやっていこうという人たち。

もちろん、このような抗争・紛争自体に無関心であったか、或いはそれに嫌悪の念を露わにしていた人たちも多数いたことを付言しておかなければならない。今思うに、彼・彼女らの無関心が一番正しい態度だったのかもしれない。関心をもつこと、コミットすることがよりましであるとは必ずしもすべての場合についていえないからである。しかしそのようなことも、経験から学ぶよりほかなかったのだ。

私自身は、自身の傾向としても人脈(人間関係)的にも、「原理との契約」派に最も近かったし、当時もその枠組みで振る舞っていたのだが、次第に「契約」という思想そのものが問題でありダメであると考えるようになった。形式的には会員であろうとなかろうと、つまり会費を納入していようといまいと、真に「契約」していなければ実はNAM会員ではないのだ、というような論理が「原理との契約」派の主張だが、これは第一に精神論、道徳主義であり、第二に、或る人が本当に「契約」しているかどうかを実際に確認する術は全くない。私がこのことを「実践的に」、体験として思い知らされたのは、いうまでもなく、Qにおける「高額取引」問題に対応するなかでである(1)。「契約」した、規約に「同意」したなどと口先だけで幾らいっても、実際に同意しているかどうか、契約しているかどうかなど分かったものではない、人間は何をするか分からない存在である、ということを痛いほど思い知らせたのが、この事件だった。以後、NAMとQの紛争の舞台は、人間玩弄と人間不信とがとめどなく増殖していく、醒めない悪夢のような場に変貌したのである。私は派閥に分かれての駆け引きや牽制等々の生々しい、しかし卑小な「政治」を、生まれて初めて経験した。皮肉をいえば、多くをそこから学ばせていただいたと感謝するよりほかない。

3.

「破壊せよ、破壊せよ。━━このけがらわしいものを踏みくだけ!━━」と私がいうとき念頭においているのは、上に挙げた3つのグループ全てである。「揚棄」の原語には「保存」という意味もあるのだが、ここで必要なのは、部分的であれ「保存」の意味を含んだ「揚棄」ではなく、全面的で徹底的な破壊と解体ではないだろうか、と私は考えた。あらゆる欺瞞と幻想を打ち砕くところからしか、何かが「再生」することなどあり得ないし、あってはならないのではないだろうか。『Qは終わった』web掲載直後、私は柄谷行人NAM前代表に連絡をとって(言い添えておくが、それまで一度たりとも柄谷氏に個人的に連絡するなどということをしたことはない)、Qに対する態度を変えていただけないかと懇願した。柄谷行人氏のお返事は、NAMはアナーキストの組織だ、ということだった。アナーキストの組織とは、柄谷氏一人が言いたい放題で、周りの者らは羊であるような組織か。一人一人が唯一者、単独者、戴冠せるアナーキーとして振る舞うような組織ではないのか。

「━━このけがらわしいものを踏みくだけ!━━」というのは、ニーチェの『この人を見よ』の最後の言葉である(2)。訳者手塚富雄氏の訳注によれば、これは「ヴォルテールが頑迷な僧侶階級を攻撃したときの標語」だという。私には、先にあげた3つのグループのいずれもが、過度に道徳主義的であるか権威主義的であり、啓蒙━━複数の光源の乱立(ディドロ研究者田口卓臣氏がいうような)━━とは正反対の態度であるようにみえる。ゆえに今私は、3つのグループのいずれにも異議がある。

私のいっているのは、ごくごく自然で常識的なことである。最低限NAM元会員(迷惑を蒙ったQ会員らも含めるべきかもしれないが)が、事の次第を把握するために必要な資料にアクセスできるようにしていただきたいということである。知り、理解し、判断する権利を全ての元会員に、願わくば万人に与えてほしいということである。幾ら私が頭がおかしいとはいえ、この主張のどこかに異常なところ、過激なところがあるだろうか。ごくごく普通で当たり前のことではないだろうか。NAM資産管理委員会は、繰り返しになるがNAM解散当時からMLや対面で異議を申し立ててきたにも関わらず、半年以上もの間、その問題提起を無視し続けてきた。ゆえに私がいま再び記憶を喚起し、悲喜劇を「反復」しようと望むことは、少しも不条理なことではない、と思う。元NAM会員の全てのみなさまに、いや「社会運動」に関心のある万人に、「世界市民」としてパブリックに理性を使用して考えていただきたいことである。

(1)LETS-Qにおける高額取引問題とは、2002年10月18日に発覚した、3名のQ会員が赤字上限ぎりぎりのQ取引を反復して、当時は取引高に応じて拡大するとされていた赤字上限を数億Qにまで拡大した事件である。この出来事は、LETS-Qの「契約」思想および「信頼原理」がいかに脆弱なものであるかを示すとともに、それが基本的に道徳的で警察的なものであらざるを得ず、「審査部」なる機関が取引の監視と取締りを行わざるを得ないシステムであることを露呈した。なお、現在、LETS-Qでは赤字上限の自動拡大を停止している。それについては、Q管理運営委員会の公式発表をお読みいただきたい。

(2)ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳、岩波文庫、p194。