『レフト・アローン』を観た後、鎌田哲哉さんに謝罪。

私は数年前、柄谷行人さんが代表を務めていたNAMという団体に入っていた。そこでは、幾つも愚行をしでかした。興味がある方は、地域通貨Qのホームページで、ことの経緯の一部が公開されているのでご覧いただきたい。

Qプロジェクト
http://www.q-project.org/

攝津氏について
http://www.q-project.org/q_giron.html

私は単に馬鹿者だった。柄谷さんの煽動に乗り、西部忠さんをはじめとするQ幹部を攻撃し続けたのだ。それも、京都にいる実務者たちを代弁するかたちで。まず、柄谷さんの煽動に乗ったのが愚かだった。西部さんを倒し、Qの民主的な運営を取り戻さなければならないと思い込んでいた。次に京都の事務方を代弁したのが間違いだった。彼・彼女らは自分で自分の主張を通すべきだったのであり、私が彼・彼女らを代弁して西部さんらを批判したのは筋違いだった。

ボイコットも、籤引きも、地域通貨も無力だったとしたら、NAMは何だったのか。ただの空騒ぎ?

『重力』がQ-NAM問題の特集を組むらしいが、私も簡単にことの次第を述べておこう。

まず問題はこうだ。京都で地域通貨Qの実務・事務を担当していた登記人3人が、負担が過重だと声をあげた。急遽、京都でQ管理運営委員会のオフライン会議が開かれることになり、そこに朽木水さんが誘った柄谷さんが参加した。柄谷さんは、Qの非人間的体質の根本が副代表(宮地さん、穂積さん)の実務軽視の姿勢にあるとして、西部さんに彼らを排除するように説得した。徹夜の説得に、西部さんは応じなかった。

柄谷さんはQに「人間的であれ」と呼びかけた。そしてNAM会員に非人間的なQ幹部との闘争を訴えた。私は、Qが民主的に運営されねばならないと考え、闘争に参加した(といっても、MLで西部さんを糾弾するくらいのことだったのだが)。

その後柄谷さんは考えを変え、Qが根本的に駄目であり、それを放棄するしかないと主張するようになる。エッセイ「Qは終わった」がNAMホームページに公表され、NAM内外は大混乱に陥った。その混乱のさなかに、NAMは解散してしまう。

私はNAM解散後も、「lets-think ML」というメーリングリストの一部を暴露するなど、Qへの攻撃を続けた。今ではそうしたことは愚かなことだったと思っているが、当時はそうは思えなかった。Qの幹部、つまり西部さんたちが私たちを利用したのだと思っていた。

そうした経緯があり、『レフト・アローン』第二部初日舞台挨拶に現れた鎌田哲哉さん(Q監査委員)に、Qへの「自爆攻撃」を謝罪した。鎌田さんは、謝罪の必要はない、それよりも元NAM会員は過去ログを出版形態でパブリックにすべきだという意味のことを仰った。NAMの過去ログは膨大にある。出版は難しい。webに公表することもできない。プロバイダに通報する人がいて、削除されてしまう。今は、CD-Rに焼いたものを配布するかたちで、過去ログの公開をしているが、希望者はほとんどいない。

NAM再建どころの話ではない。もう幾年前かの出来事である過去のNAMが、今でも私を拘束しているのだ。