風邪っぴき攝津正

朝から調子が悪かった。寒気がしたり、くしゃみや鼻水が止まらなかった。ここに至って、全身の筋肉痛と頭痛。典型的な風邪である。常備していた風邪薬は全て、父親が(具合が悪くも何ともないのに)「予防」と称して飲み尽くしてしまった。自宅の向かいにあるウエルシア薬局に行ったが、当然の如くもう閉店していた。というわけで、なんじゃらほいな状況だが、ブログを綴る。
もう三日目になるが、まだウィントン・ケリー・トリオとジョー・ヘンダーソンの共演盤を聴いている。いい加減、我ながらしつこい…。

Complete Recordings (Reis)

Complete Recordings (Reis)

芸術ダーウィニズム、或いは死滅する音楽

芸術ダーウィニズム、なんじゃらほい、ということで、またしても長文エントリーを書いてしまったが、以前からちょくちょく取り上げている【芸術性と音楽性の相克】或いは【芸術性/音楽性の二項対立という閉域とその外部】の話になるわけで。
ダーウィニズムというなら、ダグラス・ラミスが『経済発展がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』の後書きに書いていた「死滅する言語」を思い出す。世界は多数多様な民族(民俗)音楽に満ちている。しかし、それを支えている共同体の崩壊によって、「死滅する音楽」もある。ジャズは死滅しつつあるのか、栄えているのか? そもそも民族(民俗)音楽とジャズを同列に語るべきなのか? パンクはどうなのか?
など、考えていけばとめどもないのだが、演奏する人も聴く人も批評する人も誰もいなくなればその音楽は死滅する。バッハ以降の西欧の近世・近代音楽が死滅を免れているのは奇蹟に近いと思う。同時代の他地域の音楽のどのくらいが残存しているだろうか? その意味でいえば、長い時間スパンでいえば、音楽は死滅が通例で、存続が例外なのだとも思える。ジャズ、ロック、J-POPなども例外ではないと思える。

経済成長がなければ私たちは (平凡社ライブラリー)

経済成長がなければ私たちは (平凡社ライブラリー)

脱商品化

芸術作品は商品ではない。文学言語はコミュニケーション手段ではない。何故、こうも自明なことが理解されぬのであろうか。
芸術作品の価値を決定するのはその売上でもなければ、社会的現実の反映の度合いによるのでもない。芸術作品の価値はその価格ではない。
と言い切った後で。そもそも【芸術】概念が近代西欧に特定的なものだということも指摘しておく必要があるだろう。しかし、近代西欧的な意味で芸術であらぬもろもろの文化の営みもまた、商品ではなかった。それを支えるのは市場ではなく、共同体だった。音楽の営みが商品形態を取るのは、近年の現象なのである。それは資本主義の先進地域から次第に、全世界規模で、地球規模で進行している。【商品として売れる芸術作品】が現れたのである。またグローバリゼーションの深化に伴い、もろもろの民族(民俗)音楽もまた、商品化されて売り出された。つまり、市場の論理に投げ出された。そういうこともまた、資本主義の世界化の一環として生じた。
商品形態を取らぬ物、それを想像するのは私達資本主義にどっぷり漬かった人間には難しい。しかし、歴史の前にあるか後ろにあるかは別にして、つまり、かつてあったのか今後生じるのかは別にして、それはあるはずだしあるべきなのだ。商品形態を取らぬ芸術作品なり文化的営為というものの復権があり得るし、必要である。そして、全社会的な脱商品化が必要である。しかし、それはどのようにして可能なのか?

絶滅する生物種

つい先日、COP10があったばかりだが、地球上から失われていく、絶滅する生物種が物凄い数ある。ダーウィニズム、進化論などを語るとすれば、絶滅のほうが通例で、適応、生存が例外なのだとも思える。
音楽など文化領域でも、絶滅が通例で、生存が例外なのだと考えてみたらどうだろう? 少なくともそのほうが【芸術ダーウィニズム】には相応しいだろう。

ジャズ進化論

http://8241.teacup.com/unamas/bbs?
後藤さん(id:eaglegoto)記:

「芸術ダーウィニズム」という話はまったく知りませんでしたが、とりあえずの感想としては、「芸術」という概念自体が「自然淘汰」されちゃう「環境」が「今」ということなのではないでしょうか。

これは、東浩紀さんの『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)などを読んで感じることです。まあ、「死滅」はないにしても、「変容」はすでに来たしていますね。もちろんジャズも・・・

これを読んで感じたのは、「変容」そのものが進化的なのではないかということだ。
ダーウィニズム(新ダーウィニズム)との相違は、生物学的進化論の場合、突然変異は遺伝子レヴェルで、ランダムに生じるが、ジャズなど文化的、社会的な営みの場合は、意識的、自覚的、目的的に変異がなされるということだ。つまり、環境の変化を敏感にキャッチした個々のアーティストがスタイルを自覚的に変えていく、ということがあり得るということ。
ともあれ、「ポスト・モダン・ジャズ」談義など、新しい「環境」にジャズが適応しようとしている姿なのではないかな。

Duke Ellington / Never No Lament: The Blanton-Webster Band

ブラントン=ウェブスター・バンド(1940-1942)

ブラントン=ウェブスター・バンド(1940-1942)

Never No Lament the Blanton-Webster Band

Never No Lament the Blanton-Webster Band

ニューオリンズ・ジャズ1

ニュー・オリンズ・ジャズI

ニュー・オリンズ・ジャズI

マイルス・デイヴィス / クッキン

クッキン

クッキン

クッキン

クッキン

余りに欝なので決定打としてこれを掛けてみる。

嗤う

142 :mixi 公安調査庁 :2008/08/17(日) 19:02:01
この書き込みを見てさっそく大阪勤務の公安調査庁事務官(仲が良いというほどでもない程度の知り合いです)に摂津さんのサイトを教えてあげました。回答は「なんじゃこりゃ」、彼曰く「国民生活の破壊ではなく自己の破壊にすぎない」「単なる電波系ではだめ」だそうで、仮に組織として彼に関心を持つことはないだろうという旨のことをおっしゃってました。よかったですね!!

「自己の破壊」「単なる電波系」とは言い得て妙だ!!!!

マイルス・デイヴィス / ワーキン

ワーキン

ワーキン

マイルス・デイヴィス / スティーミン

スティーミン

スティーミン

マイルス・デイヴィス / リラクシン