船橋市地域生活支援センターオアシス

に来所相談しようと思い、16:30に予約を入れるが、両親は反対のようだ。予約を取り消すか。
いろいろ考える。
今の会社でやっていくか、辞めるか。フリーライターやフリーの編集者を目指すか。前者は清水直子さんが、後者はiwaさんがやっているが両方とも大変そうだ。能力的に僕では無理だと思う。別のところに勤めるか、自宅で自営をするか。Cafe LETSに真面目に取り組むか。いや、駄目なような気がする……。行き詰まり。

松本茜の『プレイング・ニューヨーク』

発売直後に売り切れ。物凄い人気だ。ちなみに僕は勿論入手出来ていない*1

プレイング・ニューヨーク

プレイング・ニューヨーク

*1:実はこっそり聴いている…

『労働』の一部

攝津は早退した次の日欠勤してしまった。
父が、もう車で送らない、と宣言したのを見捨てられたように感じ限界に達してしまった。
もともと、電車通勤していたのだし、可能な筈なのだが、どうにもナイーヴになり傷付き易くなっている。脆い、という印象。自分に対して。
攝津は、どうしたらいいのだろう、と暗澹たる気分になった。フリーライターやフリーの編集者を目指すか、Cafe LETSを本格経営するか。いずれも無理なような気がした。
何をやってもうまくいかない気がした。
実際、何をどうしても無理だし無駄だろうと思える。
攝津には何も出来ないのだった。攝津は無能であり屑だった。
攝津は、船橋市地域生活センターオアシスに相談に行こうと思ったが、両親に反対され、中止しようか迷っている。相談したところでどうなる訳でもなし、交通費も掛かるし…。
馬鹿げた話だが、攝津の人生自体が馬鹿そのものだった。

摂津正の仮面の酷薄2

僕には中学生の頃好きな少年が二人居た。同級生である。T君とY君と言ったが、T君は確実にゲイだった。だが、告白出来ぬまま卒業し、以後会う機会は無かった。
彼らのような少年を追い求めているのだが、出会いは無い。

ハンク・モブレー『ア・キャディ・フォー・ダディ』

DMMで借りた。豪華メンバーだ。マッコイ・タイナーも入っているね〜。リー・モーガンも。

ア・キャディ・フォー・ダディ

ア・キャディ・フォー・ダディ

生きられない5

自分の中の何処かが何かが脆く弱く成っている、と攝津は感じた。些細な事で痛みを感じ、受苦し、悶え苦しむようになってしまった、というふうに。この苦しさは神経性のもので、喩え難い苦悩であり苦痛である。攝津はもう十年以上前からこの種の苦しみに悩まされていた。肩や胸が痛む。頭が痛む。不定愁訴という奴だ。適応障害、男のヒステリー……デス見沢は、男のヒステリーは軍隊にでも叩き込むしかない、と言っていたがそうなのか。攝津は、自分がヒステリー患者だと知っていた。診断は社会不安障害だったが。ともあれ、苦しいのは確かで、この苦しみより出発するより他無い。
ほとんど七転八倒するような苦しさのこの苦しみは、精神的な物だったから、何を施そうと治らないし治りようが無いし、只寝る位しか対応方法が無かった。家族も攝津が症状を訴えるのに「仮病」「甘え病」などと罵った。実際、甘え病であったろう。だが真実に病気であったのであり、苦しかったのである。この事実は如何ともし難い。精神科も攝津を持て余している風であった。どの薬を投与しても治らない。面談も無意味である。医者も患者も、この厄介な病気をどうしたら良いか分からなかった。(続く)

興味あり

BEBOP AT THE SAVOY

BEBOP AT THE SAVOY

矢野沙織のコレも密かにこっそり入手した。

ハンク・モブレー『リーチ・アウト!』

DMMで借りた物。

リーチ・アウト

リーチ・アウト

ソニー・ロリンズ『ノー・プロブレム』

自分が問題ありまくりだからロリンズの『ノー・プロブレム』聴くっつーのは定番になりつつあるな(^^;

ノー・プロブレム

ノー・プロブレム

ノー・プロブレム

ノー・プロブレム

『労働』

「共感するほど読んでて苦しいし閉塞的。」「なんかすごい近代青春風自意識過剰だね。。。 」など絶賛の嵐wwwの攝津正の長編私小説『労働』はこちら! http://book.geocities.jp/tadashisettsusougou/roudou.html

裏柳生タニケンの意見

友人の転向論を読むが、すべての配線が間違ってるとしかおもえない…

いや、その移動の枠組みはノーマルなのだが、その後の個人的実践と夢想通貨metaやらがあらゆるものを凌駕してしかるべきだという誇大妄想がかなり不気味。正気と狂気が混ざっていて手がつけられない…。

他にも定額給付金大賛成に、ネオリベ肯定。ロジックがみえない。壊れたな。

いやかなりみんな無責任に面白がっているが、実際は認知の歪みの袋小路で思考すらもどうにもならないのが読んだ結論。少しは言葉を知ってる世渡り下手の奇人に小説家をすすめたりするのはよくあるけれど、著作家として生き延びる道はないね。長い間、暖かい目で彼のジャンクに成りかねない風変わりな発言を見守ってきたが。

↓を貸したらこういう感想返ってきた。

リプレーザ〈No.01 2009/2010〉特集 ポスト・ユートピア

リプレーザ〈No.01 2009/2010〉特集 ポスト・ユートピア

思考すらもままならない、とは言い得て妙だなと感心する。
僕の文章は他人に快楽ではなく不快を与えるのだろう*1

*1:これってユーモアではなくアイロニー

生きられない6, 7, 8, 9, 10

攝津はオアシスに面談に行くのを中止した。
裏柳生タニケンが、攝津が『リプレーザ』に掲載した転向論の感想を公表した。それによると、「友人の転向論を読むが、すべての配線が間違ってるとしかおもえない…いや、その移動の枠組みはノーマルなのだが、その後の個人的実践と夢想通貨metaやらがあらゆるものを凌駕してしかるべきだという誇大妄想がかなり不気味。正気と狂気が混ざっていて手がつけられない…。他にも定額給付金大賛成に、ネオリベ肯定。ロジックがみえない。壊れたな。いやかなりみんな無責任に面白がっているが、実際は認知の歪みの袋小路で思考すらもどうにもならないのが読んだ結論。少しは言葉を知ってる世渡り下手の奇人に小説家をすすめたりするのはよくあるけれど、著作家として生き延びる道はないね。長い間、暖かい目で彼のジャンクに成りかねない風変わりな発言を見守ってきたが。」との事だった。思考すらもどうにもならないとは言い得て妙だと攝津は思った。

攝津は要するに死に掛けていた。病死。自殺よりましだろう。それ程衰えていた。苦しみは日々に増し、堪え難い迄になって来た。生きるのは難しい、と攝津は呟いた。生存困難系というのが攝津の口癖だった。確かに生存は困難だった。攝津のような者が生きるのは困難だった。生きていけない。

生存不可能。

ドゥルーズの『意味の論理学』を読んだ時、フィッツジェラルドが「勿論、人生とは崩壊の過程である」と書いたのが引用されていたのを、攝津はいつも興味深く面白く思い出す。実にその通りだと思う。攝津は、津軽三味線の稽古を辞め、ファンキー・シーズを解散(活動停止)し、人との繋がりを断ち切っていた。労働すら出来ぬようになってきた。相談する人も無く、救済手段も無く、追い詰められていた。ただひたすらに苦しかった。制度的にも何にもどうにも仕様が無いと分かってはいても、もがかずにはいられなかった。攝津が幾らもがいてもどうにもならぬ。それは自明だった。攝津は破滅、滅亡、崩壊を免れる事は出来ぬ。

攝津は自分が終末に向って、終りに向って一歩一歩歩んでいるのを感じていた。内感も攝津の破綻を示していた。端的に苦しい。強度量∞である。攝津はドゥルーズ=ガタリの語る「死の体験」を生きていた。こういう感じを以前も体験した事がある、と攝津は考えた。ああ、NAMが解散した時だ、と思い当たり、十年一昔のサイクルが閉じるのを感じた。CD買い過ぎで始まった攝津の賃労働は、CD買い過ぎで終りそうだった。もうどうにもならぬ。ただ単に苦しい。攝津はこのように文章を打ちながら、「書き殴る」とはこういう事を言うのかとぼんやり考えていた。攝津は毎日書き殴っていた。一貫性も何も無い、無価値な文章を綴っていた。攝津は両親から罵倒され経済観念が無いと言われていたがその通りだった。攝津は無意味で無価値な営為しか出来ぬのであった。攝津は金を儲ける手段を知らなかった。事業に不向きだった。それで賃労働も不可となれば死ぬより他あるまい。家族ももう死んで良いと許可を与えている。ならば死すべし! 豚、死すべし! 攝津正、メタボ自立豚、死すべし! 死ね! 死ね! 死ね! 攝津は自分に向けて「死ね」を連呼したが、それは単に虚しく響くのみで、実際の死へは一歩も進まぬのであった。攝津は只の駄目人間だった。

Mさんの感想

「労働」読みました。
私は(も)、資格は就職/転職にあまり関係ないと思います。
むしろ、最近の資格取得関係のコマーシャルを見ると、人々の不安と希望につけこんだ貧困ビジネスだと強く感じます。いま、会計ソフトが優秀なので、会計実務をするには、簿記4級くらいの基礎があれば十分です。実際、私は簿記4級と3級を本で読んですませました。ただ、打ち込み等、時間はかかるので、いまは、夫に会計を押し付けています。夫も4級くらいの基礎を読んだだけです(「会計の仕事は生産的じゃない」って嫌がっていますが、必要なことなので←複式簿記青色申告)。自営業の人は会計を溜め込む人が多いので(1年分をまとめてやる人も多い)、年に1回バイトで手伝う、なんていうとありがたいと思う人もいると思います。会計が好きならば。好きじゃないなら無理することでないと思います。
資格、、、。私が持っているのは運転免許だけです。月に10万円以上かせいだことも1度もありません。働ける心身なのに、一度も10万円をかせいでいない(将来、その可能性もない)というのは若干恥ずかしい気持ちもありますが、まあどうにかなっているので、あきらめモードです。(好きなことをして仕事になっている点では、周囲の皆さん、お客様に大変感謝しています)
と、30歳代の私たちはみんな似たようなもんだよ、と言ってもラクにはならないのですよね? 自分をさらけ出している分、いろいろなことを言う人がいるでしょうが、せっつさんは、どこか、人に「見守っていたい」と思わせる美点があるように思います。

うん、ラクにはならないよ。でもラクになる方法模索してるんだけどな〜。
資格取っても駄目なら、今の肉体労働を続けるか、それも無理なのか、実家で自営も無理か、どうか。考えどころだね〜。

攝津正 Tadashi SETTSU a.k.a. "Linda"の初の長編私小説『労働』、堂々の完結篇!

さて、長編私小説『労働』は主人公攝津の自殺或いは病死によって終るのが妥当と思われる。だが、そうはならない。攝津は、何としてでも「生きる」。どういう手段を用いようと、しぶとく「生きる」。生存困難系から生存系へ。サヴァイヴァルを!
攝津の精神病は治らぬ物のようだ。家を出ぬ限り、両親から自立せぬ限り、治らぬ、と断言する人も居る。今の状態は不安定な基礎の上に建てられた違法建築のような物で、その違法建築の全体をぶっ壊す事が必要だと説く人もいる。そうかも知れぬ。攝津には難しい事は分からぬ。だが、何としても「生きる」つもりだ。明日こそは出勤しよう。出勤して、労働しよう。労働して、賃金を得よう。当たり前の凡庸な日常に復帰しよう! そう攝津は決意した。<了>

全文は、こちら! → http://book.geocities.jp/tadashisettsusougou/roudou.html
祝福のメッセージを! → http://otd13.jbbs.livedoor.jp/syousetsu/bbs_plain