生きられない(希死念慮あり、『労働』の一部)

その日攝津は一時間働いただけで、具合が悪くなり帰宅した。精神病の欝不安のせいであったが、攝津はもう自分には無理だと感じていた。
帰宅して、CD購入と金銭の事で両親と口論になり、攝津は自殺を決意した。しかし、決意したと言っても、決行出来ぬのもよく分かっていた。生涯何度目の自殺の決意だろう! 何度目の死に損ないだろう! 攝津は、銀行通帳とアットローンのカードを持ち去り、セブンイレブンで二万円借り入れ、ジャズピアニストの浜村昌子の口座に入金した。この購入を巡って、口論になっていたのだった。住宅ローンが無く借金を返す金が無く生活費が無いのにお前はまだCDを買うのか、と。攝津は、それでもCDが欲しかった。
死ぬと決めた人間が、CDを買うのも可笑しければ、簿記の勉強をするのも倉庫で働くのも可笑しかった。死ぬなら、死ぬ準備だけをすればいい。攝津は死にたい、と強く思った。だが、「思い」だけでは死ねなかった。攝津の身体は、メタボリックである事を除けば健康だった。その身体を何らかの手段で破壊せねば、死ねない。
死ぬとはどういう事だろう。攝津には子供のように、そんな簡単な事が分からなかった。
死ねば全ての知覚と記憶が断ち切られるのか。
死ねば世界が無くなるのか。但し自分にとってだけ。
攝津には当然ながら、当たり前に過ぎるこれらの問に答えられなかった。それでいて、もう生きるのは無理だ、死ぬしかない、と思い詰めているのである。
お金が無い。働くのも無理だ。生きられない。
自立など出来ない。
単に苦しい。胸や肩が痛い。
親は馬鹿にして、死ねるものか、と突き放してくる。悔しいが、実際死ねない。死ぬ勇気がどうしても出て来ない。
親は攝津を禁治産者にするとか、相続を放棄させるとか、出て行って貰う等と言っていた。攝津は、太宰治の『人間失格』のラストを想起した。『人間失格』を読み返したいと思った。自分も恥の多い生涯を送って来たと思うからである。生きている事自体が恥ずかしい。際限も無い欲望、CDが欲しいという欲望を自制出来ぬのも恥ずかしい。三十四、五にもなって自立するどころか両親に迷惑ばかり掛けている事やパートタイマーとは言え就職していても会社や同僚に迷惑ばかり掛けている事も恥ずかしかった。これら全ての事からして、攝津は直ちに死にたかった。だが、死ぬ方法が分からなかった。高いところから飛び降りればいい? 電車に飛び込めばいい? そのようにして肉体を完璧に破壊するというイメージは攝津を畏怖させた。攝津は一瞬の痛み、もし死に損ねた場合の後遺障害などが怖かった。要するに攝津は凡人だった。生きる意欲や気力があるから生きているのではなく、死ぬ勇気やエネルギーがないから生きているだけの、消極的生存者だった。
攝津には普通の人のように働く事も生きる事も無理だった。生活保護障害年金を貰うのも無理だった。どうしようもなかった。行き詰っていた。
何かが攝津の中で爆発した。
攝津の中で何かが終った。
攝津は最早生きたいとは思えなかった。攝津は死にたかった。ただひたすらに、死にたかった。だがどうにもならぬ。それもよく分かっていた。
出勤ももう出来ぬのではないか、と攝津は考えた。退職するか。
退職して、どうする。
どうするんだ。
答は無かった。
だがもう限界なのは確かだった。攝津はもう駄目だった。攝津は終っていた。
金銭感覚や経済観念の無い攝津は浪費ばかりしていてこの資本主義社会では生きるのが不可能だった。攝津は自殺すべき人間だった。
攝津が自殺しないのは罪のように思えた。
攝津は自分が死すべき人間だと考えた。
何故死なないのか。死ぬ勇気がないからだ。嗚呼、どうしようもない…。
精神科に行っても、取り合って貰えぬであろう。こんな事を相談出来る友も無く、組織も無い。もやいであれフリーター労組であれ、攝津の悩みを解決出来ぬであろう。攝津は独りで自分苦を抱えるしか無いであろう。そしてどうする。「滅びる」のか? 「滅びる」。美しい言葉だ。だがその実態は。なし崩しに駄目になっていくというだけではないのか。
攝津は死ぬしかないのではないのか。
攝津は生きる事が出来ない。
攝津は死ぬしかない。(続く)

生きられない2

攝津はセブンイレブンで、NTTの電話料金八千円余を支払って来た。アットローンから借り入れて。こんな借金ばかりの家計がどうなるか、それを考えると末恐ろしかった。しかし銀行預金は、住宅ローン支払いの為手を付ける事が出来ないのだった。
KDDIの支払いもしようとしたが、窓口で期限が切れているのでお取り扱い出来ないと告げられた。こちらも七千円余ある。それを持って帰宅したら、母が自分で払うと言う。 父が、月に家賃と食費六万円を入れて貰うと宣言した。
攝津は、帰宅して口論して食事して後、自室で布団を被って寝ていた。そのうちに睡魔が萌した。少し眠ると、シビアな抑鬱が若干ましになっていた。
母は、お稲荷さんを食べろとか、ねぎとろを食べろとか言ってくるが、口論の事など忘れたようである。
しかし家族はばらばらなのだろう。
こうして日記を打てるのもいつ迄続くか分からぬ。
いつ迄支払いを続けられるか分からぬ。
物凄く不安である。(続く)

かなり興味ある

プレイング・ニューヨーク

プレイング・ニューヨーク

加筆

攝津はiwaさんから、連日のネットラジオが影響しているのでは、と指摘を受け、そうかもしれぬと考えた。それと日曜日の友人らの来訪。立花さんやゆっくすさんがいらしてくださったのは嬉しかったが、かなり緊張し不安にもなっていた。「本物の」ジャズ・ミュージシャンとの邂逅。攝津は立花さんらとの会話が攝津の芸術観なり労働観、人生観に影響を与えなかった、自分は変らなかったと書いたがそれが嘘なのではないか。実は甚大な影響を受けた、根底からそれを掘り崩されたのではないか。これ迄の自分で良いのか、という事を考えたのではなかったか。
それが影響して、精神的に不安定になったのではないだろうか、と攝津は自省した。
友人と会ったりインターネットラジオをやったり、要するにコミュニケーションを取る事は楽しいが、心身にストレスが掛かる。それにも気を付けねばならぬと攝津は思った。(続く)

ソニー・ロリンズ『ノー・プロブレム』

ノー・プロブレム

ノー・プロブレム

ノー・プロブレム

ノー・プロブレム

スガダイロー『黒船・ビギニング 須賀大郎短編集(下)』

黒船・ビギニング

黒船・ビギニング

摂津正の仮面の酷薄1

http://book.geocities.jp/tadashisettsusougou/kokuhaku.html
http://otd13.jbbs.livedoor.jp/syousetsu/bbs_plain
モーゼス・ヘス氏から、自分のブログ上で、自分の内的葛藤を小説にしてみたらどうかと言われた。題は『摂津正の仮面の酷薄』が良いと。その言を容れて書き始めてみる。

好きな本はポール・ボウルズの『優雅な獲物』、凄惨な凌辱・虐殺場面です、と言うとドン引きされるかも知れぬ。ボウルズのその短編は盗賊が商人らを襲い殺し、一行に居た少年に暴行を加え、ペニスを切り取ってしまい、それを腹を割いて押し込むという描写がある。僕はそれが好きで堪らぬのである。所謂サディストという奴であろうか。

優雅な獲物

優雅な獲物

少年時代から、三田村泰助『宦官』(中公新書)がお気に入りの一冊であった。少年らが去勢される場面を思い浮かべては性的に興奮していた。どうしてそうだったのかは、どう考えてみても分からない。
宦官―側近政治の構造 (中公文庫BIBLIO)

宦官―側近政治の構造 (中公文庫BIBLIO)

中学生の頃、僕は自分が猟奇犯罪者になるのではないかと不安だった。だが、その兆しも無く平穏無事に暮らしているのは不思議である。(続く)