ラジオを終えて考える。

インターネットラジオでa-29さんやtakemuraさんらと議論し、考え込んでしまった。僕の意見では、被害者に自己を投影するのも、加害者に過剰に自己同一化するのも、共に誤りなのである。それは「想像力の越権」だ。(少なくとも今のところは)他者を殺傷して「いない」という「今・ここ」の自分の現実から出発する以外にないと思う。安易に加害者を「理解」したり、自己同一化する態度は、社会への抗議や糾弾として犯行を正当化することにも繋がるが、僕は社会構造の問題はそれはそれとして指摘しつつも、他者を殺傷する行為そのものについては倫理的に否定すべきだと考える。「殺すことはない」、これが僕の考える最低限の倫理だ。それは歴史や現実から出てくる。暴力を巡る議論、革命的暴力や対抗暴力などとはこれは位相が違う。他者を殺傷しないという倫理は、自らも生きている者である限り守らねばならぬ黙約のようなもの、一種の社会契約と言ってもいいと思う。自爆攻撃を実行する人は、自らの生命を犠牲にすることで、他者の生命を奪うことを正当化しようとするのだが、それも果たして認められるかどうかは疑わしい。

帝政ロシア末期の、ドストエフスキーが描いたようなテロリズムと、爆弾テロが続発するようになって以降のテロリズムでは、倫理的な質が違う。かつてのテロリズムは、例えば伊藤博文暗殺など、植民地主義者・帝国主義者の政治家なり官僚の暗殺であり、無辜の民の犠牲を伴わぬ行為であった。しかし、爆弾テロは、そこに偶然居合わせた市民を無差別に殺傷することで、社会全体に恐怖を蔓延させ統治を不安定化させようとする極めて卑劣な戦略だ。現在のイラクなりで頻発する車爆弾なり自爆攻撃もその延長で捉えるべきだろう。パレスチナ人の自爆攻撃は倫理的に非難できないという主張もあるが、僕はそうは思わない。イスラエルの国家暴力を否定すると共に、市民を無差別に殺傷する行為に関しても峻拒する立場があり得ると考える。

それは現在の格差社会に関しても同様である。大江健三郎島田雅彦は、プレカリアート自爆テロをやる可能性を示唆したり、作品中にそれを描いたりしている。が、プレカリアートで厳しい生活を強いられているからといって、他者を巻き込み自滅するといったやり口が正当化されることはないと思う。勿論我々は社会変革を求めるべきである。が、そのことと犯罪の正当化は別個の問題である。

と思うのだが、どうだろうか?

ラジオを終えて、考えたこと。2

可能性 / 蓋然性 / 現実性(possibility / probability / actuality)といった様相の混同があり、かつ、「浮遊する悪意」「憑依」「反復」「複製」……といった言葉や概念に纏わる混乱がある。

君にも加藤智大と同じ犯罪行為を犯す可能性があるではないか、とtakemuraさんは言う。が、それは「可能性」であって、高い「蓋然性」(確率)でもなければ、現実性でもない。僕が加藤智大と同等の境遇・諸条件に置かれれば、どうするか分からない。しかし、現実にそうではないのだから、そういう想定をするのはナンセンスである。

社会構造が第二・第三の加藤智大を生み出すという僕の議論についていえば、それは模倣や伝播、憑依、反復といった言葉で語られるべき問題であるが、しかし、実際に他者を殺傷する行為を「やった」者と「(少なくともまだ)やっていない」者との間には、歴然とした差異がある。こういうことを書くことで僕は、何も善良なる市民でございという顔をしたいのではない。僕も自分が犯罪を犯す可能性を否定していない。だが、くどいようだが、可能性、蓋然性、現実性、偶然性……といった範疇が混同されているように感じるのである。

「浮遊する悪意」は、『沙粧妙子』や『ケイゾク』、『多重人格探偵サイコ』、『カオスの娘─シャーマン探偵ナルコ』などを想起させる。自らの主体性なり意思なりが奪われ疎外されて、何か他者のそれに変貌してしまうというのは、現代人特有の不安だと思う。自分の過剰な行為が、誰かに憑依されてのものではないかという不安がそれだ。それは前近代的なものであるとともに、ポストモダン的なものでもあって、一貫して自律的な主体という概念が崩れ、「私」も複数の諸力の合成体、言い換えれば砂浜に描かれた人間の顔のようなものに過ぎないという認識が広まっていることからきている。私の衝動は真に「私の」ものなのか? それとも、或る種の呪いの力で私のところにやってきた、何か忌むべきものなのか? そのような疑問を感じずに自らの諸衝動と向き合うことはわれわれにはできない。メディアや交通の問題は無論ある。だがそれだけではなく、本質的な人間像の変化があるのである。少なくとも先進諸国と称される国に生きている市民は、自らのアイデンティティを確固としたものとして提示することができない。それをするとしたら、何かしら欺瞞なり虚偽意識が付き纏う。「ゲイ・アイデンティティ」から「クィア」への議論と戦略の変化はそれを如実に示す一例である。精神病者にせよ、精神病者としての確固たる一貫性があるというよりも、精神病様の状態を呈することがあるという、状態の推移に姿を変えているようにみえる。つまりわれわれは、皆が部分的に狂っており、部分的に正気である。そのような条件下で生きている。憑依というようなプレモダンな形象が、ポストモダン社会で復活するのは、確固たるこの私という虚構が崩れたからだ。僕は加藤智大であったかもしれないし、加藤智大が僕であったかもしれない。そのような交換可能性が当たり前の前提として議論される。「取り換え不能な唯一者としてのこの私」はいないのである。

ここで一旦筆を措く。

沙粧妙子?最後の事件?第1巻 [VHS]

沙粧妙子?最後の事件?第1巻 [VHS]

【転載】同志Tに対する不当弾圧弾劾!仲間をかえせ!!

http://linux7.sanpal.co.jp/no-g8/?q=node/138

2008年6月4日、朝、野宿者解放活動家・同志Tが「免状不実記載」で逮捕され、家宅捜索を受けた。PC類、携帯、レジュメ、ビラ、履歴書等14点が押収された。「普通自動車免許証」を実家のまま記載していただけで逮捕・家宅捜索とはあからさまな不当逮捕に他ならない。
これは大阪で行われる6月14日、15日(注:実際には6月13日、14日)のサミット財務大臣会議と洞爺湖サミットをにらんだ事前不当弾圧だ。彼はいま身柄は奈良県郡山署に拘留され、5日の昼に送検するという周到さだ。だいたい免許証が実家のまま記載している人々など何百万人といる。「免状不実記載」で逮捕・拘束すること自体、不当極まりない。
同志Tは、「支援団体」が充実した新中産階級の高級マンションが林立する大阪市内で活動することを止め、あえて、大阪市周辺部や河内地方などの疲弊した下層労働者街・旧市街をくまなく回り、テントを張れず支援もなく不可視化されて路上を彷徨う野宿者に寄り添い、ともに働き、町工場で低賃金で働く外国人労働者と接するなど、丁寧で根気の要る活動現場で孤軍奮闘してきた根っからの労働者革命家だ。また、そういう彼の謙虚な人柄や活動スタイルに共感する海外のアナキスト活動家は数多い。
我々は彼が築いてきた運動に対するこのあからさまな運動つぶしに対して断固抗議する!
警告する!警察は即刻、同志Tを釈放しろ!
2008年6月6日 黒色救援会

同志Tの早期奪還の為に緊急ですが救援カンパを要請します。
下記、宛先まで現金書留郵便でよろしくお願いします。
また、激励のお便りもお待ちしています。

大阪市北区中崎町3−3−1−401号室
自由労働者連合気付
黒色救援会

放送予告

●番組名:攝津正 Tadashi SETTSU a.k.a. "Linda"の音楽彷徨
●番組のURL: http://tds.radilog.net/
●パーソナリティ名:攝津正
●放送開始日時、予定放送時間:6/10(火)22:00-24:00
●本日の放送内容:ピアノ・三味線・ウクレレ演奏とお喋りします。
気楽に聴いてね!
●メッセージ募集要項など:お好きな話題を持ち寄ってください。
●らじろぐチャット以外の掲示板があれば、そのURL:
http://9118.teacup.com/femmelets/bbs
http://chat1.net4u.jp/chat/mkframe.cgi?z=Linda

買い物の往復で考えた。

社会貢献度=0の私。生きてる意味あんのかよ、とちと愚考。ま、積極的に死ぬ理由もないから、だらだら生きてていいんだろうが、意味だの価値は0だと思った。よーするにダメナ人っつーことでヨロシク。

「彼女いない」「親に無理矢理…」目立つ責任転嫁の書き込み

記者さんもこれだけダメナ人を貶めて楽しいかねえ。自分は高学歴・高収入・パートナーありなんでしょ?
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080610-OYT1T00427.htm?from=main3

加藤容疑者を送検、起訴前に精神鑑定検討

讀賣の夕刊には「自分は精神病だ」の見出しがデカデカとホントにデカい字で躍っており、それを見て不愉快になった。本当に精神病かどうかは分からないが、病気のせいじゃないだろ。マスコミもそれを1面でデカデカと報道するなよな(怒)。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20080608-2810266/news/20080610-OYT1T00415.htm

聴いた音楽

ハービー・ハンコック『テイキン・オフ』

テイキン・オフ+3

テイキン・オフ+3

フェラ・クティ『ゾンビ』

ゾンビ

ゾンビ

「ちょっとだけ吸っちゃいました」加護亜依、香港で“喫煙”して自己嫌悪、ファンにブログでお詫び

まあ俺も意志は弱いからな。人のことは言えません。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080610-00000015-oric-ent

ブルー・ミッチェル『ブルー・ソウル』

ブルー・ソウル

ブルー・ソウル

夕食の前に聴いてた。