ジ・アート・テイタム・トリオ

昨日午前零時過ぎに就寝する時に『ジ・アート・テイタム・トリオ』を流していた。午前3時頃に起きたが、暫くベッドでぐずぐずしていて、少し前に起き上がってトイレに行き、窓から外の風景を眺めたら静かな雨だった。早朝の落ち着いたというか、沈んだというか、くすんだ時間、静寂というのか、それを少し楽しむ。僕はこういうものが本当に好きなのだと思うが。外が明るんできたのでもう日が昇ったのだと気付く。そしてiPhoneTwitterFacebookを確認したら、Facebookの「友達」が3人減っている。601人だったのが598人になっていた。だから、どなたがいなくなったのかと思って一覧を眺めてみたが、特定はできなかった。要するにリアル友人とか昔からの知り合いなどでもない人々ともうっかり「友達」になってしまっているとか、Facebookから「知り合いかも?」と勧められるがままにリクエストを送ってしまっていたのだということで、余りよろしいことではないと思った。もうネットの繋がりも自己管理できないというか、フォローしたりFacebookの関係をリンクしたりまた外すのは個人の自由だとは思うが、それはそうだけど誰かいなくなったら気にはなるわけだろう。だけど、どなたが去ったのか分からないというのはね。僕は昔からネットの縁というか関係は淡いものだと感じているが、最近ちょっと流行っているFacebookTwitterもそうだというだけの話だろう。ネットの関係がどうのこうのというのは、例えばmixiだったら、Facebookよりも遥かにハンドルネームが多いわけだが、そうするとたまたま知り合ってもその後マイミクを解消したり切ってしまうと後から探し出すのは困難な場合が多いだろう。ということだから、昔mixiで少し交流があったというか、その人の日記を拝見したりしていた皆さんのことを少し想い出してもみた。GIDのゆうさんとかレズビアンのもりしゅーさんとか。レイさん。皆さんどうされているのかな。全く分からないし、それはそれでいいことだとも思うが。ネット無縁社会は悪いことばかりでもないと思う。しがらみが少ないということだからね。しがらみや拘束は多いよりは少ないほうがいいのではないだろうか? 僕は常識的(?)にそう思うのだけどね。それからFacebookであっても、面識もないし知り合いでもない人々、例えば音楽家の皆さんなどでも、僕のほうもファンというか興味があるし、FB側からも「知り合いかも?」と唆されるから、ついつい「友達」申請を送ってリンクしたりもするのだが、どう申し上げればいいのか、当然それは言葉の普通の意味での友達関係、交際、社交とは違うしね。音楽家以外であっても、福島みずほ氏、菅直人氏などもそうだと見るべきで、彼らは数千人も「友達」がいるが、そうするとネットの交流なり関係というのは「そういうものだ」と割り切るべきだろうと思う。ということで、少々飛躍というか話が飛んでしまったが、要するに誰がいなくなっても分からないという「友達」関係ってのは何だかなあ、と思ったということでした。

ジ・アート・テイタム・トリオ

ジ・アート・テイタム・トリオ

アート・テイタム〜ベン・ウェブスター・クァルテット

今日は午後1時からウクレレのレッスン。終わってから3時までセッションというか、生徒さんと母親と僕の3人でちょっと遊ぶ。それからリブレ京成で買い物。少々ポスティング。帰宅してこれからリブレで買ってきた味噌ラーメンを食べるが、それまで『アート・テイタムベン・ウェブスター・クァルテット』という名盤を聴く。これは1956年9月11日にロサンゼルスで録音されたものだが、その2ヶ月後にテイタムは不帰の人となっている。しかし、ライナーノーツを書いている佐藤秀樹氏もおっしゃるように、悲劇の訪れを予感させる影は一切何もない。

アート・テイタム?ベン・ウェブスター・クァルテット+3

アート・テイタム?ベン・ウェブスター・クァルテット+3

岩田規久男『経済復興 大震災から立ち上がる』(筑摩書房)

味噌ラーメンを食し終えて軽くシャワーを浴びて着換える。今日はもうレッスンもないし、夕方から夜に買い物にも出掛けないから、ごくラフな格好である。中学校の頃の体育服の半ズボンと、上は黄色いノースリーブの長い涼しい寝巻きである。まだ5時にもならないから寝巻きは早い気もするが、自室にいるのだからそれで構わないであろう。冷水を浴びた気持ち良さの余韻を残しながら、今再び56年のテイタムを聴いている。何度聴いても素晴らしいの一言である。そして、レッスンの前後、自分が経済には門外漢だということはよく承知していながら、図書館から借りてきた経済書をぱらぱら読む。岩田規久男『経済復興 大震災から立ち上がる』(筑摩書房)、若田部昌澄/栗原裕一郎『本当の経済の話をしよう』(ちくま新書)である。彼らの立場や意見は……いや、だが、性急にイデオロギーだと決め付けたり生半可な批判を差し向けようと(身の程知らずにも)試みることは控えるべきだろう。アベノミクスとかリフレということも、その是非は今は棚上げしておく。とりあえず注目したいのは、岩田が「復興国債を日銀に引き受けさせる」ことを提言していることと、若田部が中野剛志のTPP反対論を厳しく批判していることである。僕の中心的な関心はその辺りにある。

経済復興: 大震災から立ち上がる

経済復興: 大震災から立ち上がる

本当の経済の話をしよう (ちくま新書)

本当の経済の話をしよう (ちくま新書)