呟き

2001年から十年、精神病院に通院しているが、状態に変化が全くない。相変わらず死にたいし、生きる意欲はまるでない。正直無意味感を感じるというか、医者に罹る意味があるんだろうか(薬を貰う以外に)、と思う。無料カウンセリングも終わってしまったし、薬物療法以外の選択肢がない。自分が死にたいというのはほとんど趣味というか嗜癖のようなものだと思う。両親が死ぬ=自分の死と想定することで、とりあえず現在の生存を耐えている。基本的な考えは「生存は無意味にして苦痛なり」。もう何年も同じことを言っている。ワンパターンである。枯渇しているので、哲学者=作家=音楽家になれそうにもない。YouTubeUstreamは毎日やっているが、一銭にもならない。ブログやTwittermixiFacebookもやっているが、それも金にはならないし。友人は大学に勤務したり、著書を出版したりして、充実しているのに、自分は空疎だと思う。本やCDを出す金がないし、どうすればいいのかも分からない。毎日漠然と死にたいなと思っているだけで、何の進歩もない。働こうという気持ちにも一切ならない。生活は苦しい。歩いて行けるから、船橋二和病院の精神科に転院しようかとも思っている。が、具体的に何をしたわけでもない。具体的にどうこうすることは一切なく、日々音楽を聴き、本を読んで暮らしている。教養ある人になりたいと思うが、なかなかなれない。図書館にある本を全て読破したいと思うが、できない。当たり前だが。柄谷行人が反原発デモが日本を変えるとアジっているが、交通費がなくデモに参加できない。それ以前に、柄谷行人は十年前は地域通貨が日本を変えるとアジっていて、結局そうはならなかったわけだが、自分の言葉に責任を持たない人を信じられない。毎日憂鬱である。欝から抜け出せない。自分の限界を感じる。自分はもう死んだほうがいい、そう思う。死にたい、死んだほうがいい、とは思うが、現実に今すぐ自殺する勇気はない。こんなことを十年以上呟き続けている。