ビル・エヴァンス・トリオ・ライヴ『ラウンド・ミッドナイト』
ビル・エヴァンスに嵌っている。今更ながら(^^;
- アーティスト: ビル・エヴァンス,チャック・イスラエル,ラリー・バンカー
- 出版社/メーカー: ユニバーサル インターナショナル
- 発売日: 2000/06/01
- メディア: CD
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キャノンボール・アダレイ『アフリカン・ワルツ』
今聴いてます。
- アーティスト: キャノンボール・アダレイ・アンド・ヒズ・オーケストラ
- 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
- 発売日: 2006/08/23
- メディア: CD
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三流物書き志望者の日常 その75
お茶…ほのかな苦味…ペットボトルに詰めて…キャノンボールを聴く…
ケニー・ドリュー『ジス・イズ・ニュー』
今聴いてます。
- アーティスト: ケニー・ドリュー,ドナルド・バード,ハンク・モブレー,ウィルバー・ウエア,G.T.ホーガン
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
- 発売日: 2008/05/21
- メディア: CD
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ケニー・ドリュー『パル・ジョーイ』
今聴いてます。
- アーティスト: ケニー・ドリュー,ウイルバー・ウエア,フィリー・ジョー・ジョーンズ
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
- 発売日: 2007/05/16
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ポストモダンとジャズ/攝津正
ポストモダンとは、思想家のリオタールらが言い出して1980年代に流行した概念であるが、最近ジャズに関わる言説の場でその用語が用いられることが多いようである。要するに現在がポストモダン状況であるから、ポストモダンを理解せずには、現代ジャズを理解することはできないということのようだ。
私が知る限り、自分で「ポストモダン・ジャズ」を名乗っているのは菊地成孔だけである。しかし彼のダブ・セクステットの演奏は、私には端的に「モダン」に聴こえる。ポストモダンという言葉を用いてコミュニケートしながら、何か致命的な誤解が横たわっているようにも思う。
ポストモダン状況とは、複数の価値観 / 様式が並列的に存在し、何が新しく何が古いかなどといった序列づけが無効な状況である、と言える。そこでは、スイング、ビ・バップ、ハード・バップ、ファンキー、モード、フリー等々が進化なり発展を機軸とした視点からは切り離されて、自由に取捨選択できる様式としてある。つまりそれは、メタ歴史的である。と同時に、アイロニーとシニシズムを含んでいなければ、ポストモダンとしては成り立たない。もはや新しいものは何もないという意識、それがポストモダンであり、歴史の終焉である。しかしそのように言う時、終わったとされる「歴史」とは何なのか、吟味が必要である。
そもそもジャズとは何か。議論のうえで、ジャズという括りに関し、合意があったのだろうか。私なりの定義を示せば、ジャズとは、「20世紀にアメリカで展開した商業音楽の一つ」である。20世紀という意味は、複製技術によって記録が可能になったということを含意している。また、世界戦争の世紀であったということも想起されていいだろう。アメリカでという時、ヨーロッパやアジア、アフリカでのジャズはジャズではないのかという反論が予想されるが、ここでは典型的には何かを問題にしているのであって、ジャズがアメリカという刻印を有しているのは自明な事実である。というより、植民地主義なり帝国主義の爪跡を残した芸術がジャズなのである。新大陸アメリカ「発見」、その後のアフリカからの黒人奴隷輸入、南北戦争とその後の「奴隷解放」(奴隷という名の労働者を労働者という名の奴隷に変えた)といった大文字の歴史とジャズの誕生は端的に結び付いている。このような戦争を含む過酷な「交通」、グローバライゼーションなしにはジャズは生まれなかった。また、「商業音楽」という定義は、例えばクラシックや現代音楽と違うということを意味している。国家なり共同体が保護する音楽芸術ではなく、市場で売られる(ライブハウスでの演奏やCDという形態で)音楽芸術であるという意味である。勿論フリージャズの一部のように、商業性から脱却しようとした試みは多々あったことは承知の上である。ここでも典型的には何かを問題にしているのだ。
1950年代のジャズの輝きは、アメリカ帝国主義の世界的覇権と軌を一にしている。ジャズが輝きを失ったとすれば、それはアメリカの相対化と結び付いている。アメリカの相対化とは、価値観の多様化の表現でもある。特定の場所、特定の時代、特定の人脈の中だけで発展していたジャズが、世界各地で多様に表現され生産されるようになったという事実である。
ポストモダニズムが否定する大きな物語とは、例えば、ジャズの歴史が黒人解放の歴史と一体であり、その発展は必然的であり、目的=終末に向けて進行してきたという見方=史観である。それは油井正一に典型的に現れている。彼のジャズ史観の中では、例えば白人のクールジャズやウエスト・コースト・ジャズなどは、黒人の黒人らしいジャズの台頭と比較して取るに足らないものでしかなかった。しかし、例えばファンキーが黒人の黒人らしさの本質主義的表現だというような理解は、例えば典型的なファンキー曲「マーシー・マーシー・マーシー」の作曲者ジョー・ザヴィヌルが白人であるという事実からも疑われて然るべきである。誰が書いていたのか忘れたが、アフリカの民俗音楽は「黒っぽく」ないのだという。ファンキーとか黒っぽさなどと表象される何かは、アフロ・アメリカン特有のものなのである。それはアメリカ自体の成り立ちとその歴史から生み出された何かである。
ジャズにおけるポストモダニズムとは、ジャズの「黒さ」の脱構築であり組み替えである。或いはナショナリティから相対的に自由な表現の模索である。
『チェット・ベイカー・イントロデューシズ・ジョニー・ペイス』
ビル・エヴァンスも変名で参加している。
- アーティスト: チェット・ベイカー,ジョニー・ペイス,ハービー・マン,ジョー・バール,ジミー・バーク,エド・シグペン,フィリー・ジョー・ジョーンズ
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
- 発売日: 2008/06/18
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心の闇、社会の闇
<八王子殺傷>製造業の「派遣」転々…菅野容疑者
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080723-00000034-mai-soci
秋葉原の事件でも感じたが、自分と彼らの違いは、自分が製造業派遣やってないということだけじゃないか。それだけ私のほうが惰民で、自立心も社会に役立とうという善意もまるでなく、のうのうと生きているというだけの話じゃないか。
私が製造業派遣に行ったら、数日でギブアップだと思う。