レニングラード

レナード・バーンスタイン指揮のニューヨーク・フィルハーモニックの演奏で、ショスタコーヴィチ交響曲第7番作品60「レニングラード」を聴く。1962年の録音である。僕がこの曲を知ったのは、80年代か90年代のことだが、お酒か何かのコマーシャルで使われていたからである。第一楽章の第二主題、「死の行進曲」だが、戦争をテーマにした「戦争交響曲」(第7、第8、第9)の「死の行進曲」を酒のCMでただ単に陽気で明るい音楽として使ってしまえるというのがまさに消費社会でありバブルだ。第二次世界大戦という元々の文脈など無視されてしまうのである。そういう外的状況は音楽そのものとは関係ないのだと云われるかもしれない。だが、そうではない。『ショスタコーヴィチの証言』という作曲家の死後に公刊されたものがあり、その真実性には疑問が呈されてはいるが、そこで作曲家はこう語ったとされている。ムラヴィンスキーだったか、ソ連の当時の指揮者が、この第7交響曲の第一楽章に込められた不安な響き、懐疑、絶望などを一切感受せず、単純に明るい楽天的で肯定的な音楽として演奏したことに、激しい落胆と失望を表明しているのである。ショスタコーヴィチにとっては、それは強いられた陽気さであった。あたかも、かつての絶対君主に仕える道化のようなものとして自らとその芸術を捉えていたのである。ムラヴィンスキーは━━別に誰であっても構わないのだが━━それを理解しなかった。それは芸術家にとっての(別に芸術家でなくても構わないのだが)仮面という問題である。ムラヴィンスキーショスタコーヴィチの第7交響曲の「名もなき庶民の人生肯定」の歌の背後に隠された何か(という言い方は厭らしいが)を理解しなかった。そして、バブル期の日本は、こともあろうに「死の行進曲」を陽気に酔っ払えばそれで楽しいというコマーシャルに使用してしまった。それは恐らく、ショスタコーヴィチのような芸術家の作品が辿らなければならなかった運命だったのである。